真夜中、家中の酒という酒を全て飲み干し、それでもまだどこかに隠してあるんじゃないかと乱暴に探し回った。母は泣いて僕に付いて回り、父はだんまり。そして神棚のお神酒を飲もうとした時、母は泣き崩れた。(お神酒の中には蛾が溺れ死んでいた)。父は土下座をし「すまない、もっと早くに気づいてやれれば・・・すまない。けど俺たちが参ってしまう、金はどうにかするから出てってくれ、すまない・・・」。黒い海にぽつんと「障害」という孤独が際立った。23歳の夏の事だ。(「孤独とじゃれあえ!」の抜粋)。
詩集「みちのく鉄砲店」(青土社 1400円)だ。第12回中原中也賞を受賞している。同賞はその年に刊行された現代詩の詩集(印刷された詩集)が審査対象。「みちのく」は自費出版という。何が何でも印刷物にして、世に問いたいとの思いである。あとがきに兄がいう。「弟を支えているのは、ひどい症状に苦しんでも頭を離れることのない現代詩。自分の生き方と照らし合わせるかのように書き綴る。この詩集が、弟がこれまで生きることを選んで歩んできた証、さらに強く生きていこうとする証になってほしいと強く思っている」。といいながら、装丁は戸田ツトムが担当している。詩の一節が意識的に次ページに飛び、その一行で終わっている。なかなかの構成だ。紙の質も吟味されている。著者の人脈なのか、青土社の配慮なのか、そのいきさつも知ってみたくなってくる。
著者は須藤洋平。77年生まれの29歳。トゥレット症候群という難病を病んでいる。聞き慣れない病名だが、小学4年生の時、まばたき、顔しかめ、首振りなどの運動チックが始まり、叫び声、卑猥な言葉や、自分や他人がいった言葉を繰り返す音声チックが加わっていった。02年東北大学病院で、そう診断された。当初一過性のものだと判断していたが、もう20年以上も続いていることになる。心因性なものではなく、脳内の神経伝達物質の異状によることも明らかになった。須藤の場合、さらに根の深い神経症からくる鬱病も併発している。
この詩は、彼の言葉ではない。トゥレット症候群という病が発しているのだ。そう思えてくるほど、言語感覚は尋常ではない、遠く胎内からの叫び声といっていい。この病気がなければ、これらの詩が生まれていない。健常者といわれる人間の発する言葉の、軽さ、臆病さ、インチキさなどが突きつけられる。選考委員は「孤独を引き受け、病気に負けない、感応力の強い詩の世界が展開されている」と絶賛している。
小学生の時からチック症のために、いじめられた。高校卒業後上京し、鍼灸師となり働き始めたが、症状はさらに悪化していった。情熱はねじれ、気付いたら奇声を発して畑を裸足で走っていた。自宅に連れ戻された。
詩作は26歳の時から。中原中也の詩に出会って、詩に漂う焦燥感に自分と共通のものを感じ、共感した。この詩集を出したら死のう、と考えていた。そんな時、受賞の知らせが届いた。「今なら心から言える。おっかあ、産んでくれてありがとう」。贈呈式で壇上から母親に呼びかけ、喜びを表した。
「みちのく」は探し求め、ようやく金沢で入手したが、いま1冊詩集が手元にある。これは富山県立図書館で、偶然にわが手に飛び込んできた。「高銀詩選集 いま、君に詩が来たのか」(藤原書店)。高銀(コ・ウン)は韓国を代表する詩人。33年生まれだから74歳。朝鮮戦争で、同じ民族による報復虐殺を目撃し、精神異常と自殺衝動に悩む。その後の軍事政権に抵抗,連行、逮捕、監禁が繰り返され、光州事件では終身刑をいいわたされた。権力への抵抗という強い意志が詩となっている。抵抗詩「矢」では、「我らみな矢となって 全身で行こう 虚空をうがち 全身で行こう 行ったら戻ってくるな 突き刺さり 突き刺さった痛みとともに、腐ってもどってくるな」。
須藤の作品とは対極にあるようにも見える。しかし、詩は詩人のものではない。「ぼく、おかあさんにあいたくて、うまれてきたんだよ」。3歳にして、偉大な詩人もいるのだ。
みちのく鉄砲店