みすず書房

この時期、心待ちにしているPR誌がある。2月1日みすず書房発行の月刊「みすず」1・2月合併号で、毎年、読書アンケート特集と銘打って、約150人の作家、学者などが昨年中に読んだ本を、5点以内にしぼって書き綴っている。新刊休刊を問わず、となっているが、田中真澄なる映画批評家は百円古本からのみ選んでいる。こんな本があるのか、この作家はこんな本を読むのか、とりわけ哲学、物理学、精神医学者がどれだけ違う分野の本を読んでいるか、興味は尽きない。定価は300円だが、申し訳ないほどに面白い。400円切手同封で注文しているが、宛名書きが手書きで、小人数の手作り経営がしのばれる。もっと応援したい出版社であるが、わが書棚を飾るのは、同社刊ではフランクルの「夜と霧」だけである。格好の読書指針だが、1年遅れとなる。やむを得ない、もう先を争う必要もないのだから。そこで今年読んでみたい本を5点選び出してみた。
 「軍艦島」。韓国作家・韓水山の著。作品社。長崎県の端島である三菱の海底炭鉱に、強制連行された朝鮮人労働者の大河小説で、長崎原爆での被爆が重なる。人間群像を描く想像力、造形力は湿っぽくなく、躍動感あふれ、魂は揺さぶられる。日韓併合100年の今こそ、この辛くて痛ましい作品を読まねばなるまい。
 「逝かない身体―ALS的日常を生きる」。川口有美子著。医学書院。ALSの中でも最も重篤なTLSに陥った実母を12年間にわたって介護した娘の記録で、「生きたい」と「死にたい」で揺れ動く患者と家族の体験を繊細に深く紡ぎだして、病み、衰えながらそれでも生き続ける意味を問う。わがナラティブホームの入居予定第1号がALSの方である。必読と思っている。
 「カデナ」。池澤夏樹著。新潮社。カデナは68年の嘉手納である。ヴェトナム反戦、諜報活動、脱走兵の支援、核兵器、人種差別などなどずしりと重い問題群が詰め込まれている。それを沖縄、フィリピン、ヴェトナム、アメリカ、日本の血をうけた混血たちが独自の反戦活動を展開する。池澤は「基地は無人島に移せばいい」と朝日新聞で提案している。普天間をどうする、そのためにも。
 「許されざる者」。辻原登著。毎日新聞社。日露戦争前夜、紀州・熊野にインドから帰ってきたドクトル槙を主人公に、新しい外来の思想に影響され自由を求めて奔放な行動に走る人々の闘いと運命を描いている。
 そして、「昨日と今日の間―編集者のノートから」。小尾俊人著。幻戯書房。この著者小尾俊人(おび・としと)こそ、みすず書房の創業者である。「軍隊から復員したばかりの私は、出版で新しい人生を切り開きたいと思い、それ以外は視野にはいらなかった」。最初に手がけたのが「ロマン・ロラン全集」全70巻。敗戦の翌年に、その全訳を行う片山敏彦を信州の疎開先に訪ねている。そして片山の「詩心の風光」が同書房の処女出版となる。社名もその時に考えたのだろう。ふたりの出身地・信濃の枕詞「みすず刈る」に由来する。最初は漢字で「美篶書房」だったので、片山の著書には漢字の社名が刻まれている。読者から時代錯誤の用字法だとしかられて、ひらがなに変えた。なんといっても膨大な『現代史資料』の刊行が光っている。ゾルゲ事件から始まるのだが、第1期16冊が379,205円、第2期15冊が341,770円、第3期15冊349,909円、第4期12冊263,651円となる。戦後、コピー機の普及も情報公開の制度もない時期だ。旧体制崩壊のあとの空隙に散逸の運命にさらされ、あるいは秘匿されようとし、また占領下に連合国軍に没収され海外へ持ち去られた記録や文書類を追って、収集に十年の歳月を重ねた執念の刊行である。
 もっと評価されていい出版社だ。ノーベル物理学賞の朝永振一郎も「みすずの味方になりたい」というのが口癖だった。軽薄な風潮とこのデフレが続けば、みすず書房も生き残れないのでは、と心配する。
 取りあえずお勧めは、同書房初のコミック誌「フロム・ヘル」。上下巻で、各2730円。

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