母子・父子自立支援員

 どうして、そこまでこだわって情熱を傾け続けるのか。不思議な女性である。13年間、富山県内の行政で母子・父子自立支援員を非正規で続けてきた。ひとり親家庭のサポートだが、仕事の内容は生活支援から家庭内暴力まで実に幅広く、多様である。60歳を迎えた彼女は、退職後も行政の枠を超えて、「絶対に断らない主義」で続けていくという。もらった名刺には「しんぐるサポート」とあった。つまり、ひとりでやるという意思表示。そのためにこれまでに信頼関係ができた人からの支援を募り、団地の1室を女性が独り立ちできる居場所として確保した。行政とのネットワークも当然活用していく。

 この仕事に携わるきっかけとなったのが父の存在。63歳で亡くなったが、やはり暴力で家族を支配し、若いころからアルコール依存でもあった。男女共同参画が叫ばれ、私もものを考えるようになった40歳くらいの時、「ふと、この父は幸せを感じたことがあるのだろうか」と思った。事情を察して、誰かが手を差し伸べていたら、父も変わっていたかもしれない。それも家族や親族ではなく、しがらみのない行政の方がいい。時間をかけて説得すれば、そこまでいうのかと助言を受け容れたと思う。そう考えると、自分がやらなければ、と思うようになった。ふたりの子どもは成人していることもあり、夫からもお前がやりたいんだろうと諦めに近い承諾を得た。

 まず働き方の本質的な問題である。自立支援員は非正規雇用で、全国の80%がそうである。仕事は幅広い知識とスキルが求められ、専門性は極めて高い。身分の安定は当然で、報酬もこんな低賃金では続けられないとつい口に出る。しかし半面、いざ現場で仕事をしていて、単純に正規、非正規だけでは割り切れない思いもある。非正規ゆえに、いつ辞めてもいいやという覚悟が、思わぬサポートを生み出してきたからだ。例えば、DV支援のため、公用車を使いたいといい出すと、認めてくれたりした。制度のスキマをこじ開けてでも、との思いがなければ、SOSを出している人に向き合えない。正規になると、組織の調和を優先して、波風を立てないで、になりはしないか。そんな矛盾も想像してしまう。

 福祉にどんな組織が必要か。そう問われたら、現場に裁量権を与える柔軟さが不可欠と真っ先にいいたい。いのちの危険すらある人に「すいません、役所の限界です」と言い訳するのだけは絶対に避けたい。そういう意味では「しんぐるサポート」はそんな心配はない。絶対断らない主義を掲げながら、それでも食っていけることと両立させていきたい。持続可能な「しんぐるサポート」を困難でも目指す。

 恐らくコロナ禍は貧困と格差を拡大し、そのしわ寄せは大半女性にくる。支援員の不足は目に見えている。資格やスキルも必要だが、こころから寄り添える人が増えないと、やっていけない。DVから逃れている女性はこころの鍵もしっかり閉じている。フードバンクからのパンを「賞味期限が近いパンなの、もらってくれない」という一言が鍵を開けてくれる。ほしいなら、あげる、ではないのだ。相手の尊厳を大事にする小さな心遣いの積み重ねしかない。

 「しんぐるサポート」は彼女の心意気だけが頼み。これを真剣にサポートする行政、こんな働き方を可能にする政治の出現が待たれる。当然幅広い市民の行政監視や激励も不可欠。そういえば「新しい公共」なるワードがもてはやされたこともあったのだ。

 ひょんなことから、彼女を知ることになり、8月4日話を聞かせてもらった。ありがたい出会いであり、言葉だけで終わらせるわけにはいかない。

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