「サヨナラだけが人生だ」。オバマが退任演説で涙をぬぐうのを見て、井伏鱒二の名訳の一節が浮かんだ。そんな寂寥感を抱えて、オバマもホワイトハウスではない居場所を探さなければならない。2期8年を超えて権力の座におれないとするアメリカの民主主義の知恵にあらためて納得する。この演説要旨は「多様性と寛容の大切さ」となるが、10年4月に亡くなった多田富雄が最期のメッセージとして遺してくれた、免疫学から感じ取った哲学的な啓示でもある「寛容」を思い起こした。
死の床にあってインタビューを受けたのだが、「生命とは何でしょうか?」にこう答えている。力の入らない指先でゆっくりとキーボードを押しながら言葉を紡ぎ出し、「今はこんな状態でとっさに答えが出ません。しかし、僕は絶望をしていません。長い闇の向こうに、何か希望が見えます。そこには“寛容の世界”が広がっている。予言です」と遺言のようにいい残した。
01年、旅先の金沢で脳梗塞の発作に見舞われたのだが、病に倒れたことで生きる実感を得たという。それは倒れて2週間を経て、麻痺した右足の親指がぴくりと動き、自分の中に別の何かが生まれていると感じたからだ。得体のしれない何か、ならばそいつに会ってやろう。どんな運命も一緒に耐えていこう、ともうひとりにつぶやいた。寛容というのは、もうひとりの自分に出会うことで生まれるものかもしれない。そう思える。
免疫システムは、病原体を自分以外のものと認識し、排除する仕組みである。このシステムは生体内で唯一遺伝子情報に頼らないで作られるので、あらかじめ自己を認識するシステムを持っていないと自分が自分を排除するという自己免疫病を起こしてしまう。免疫というのは自己とは何かを問いかける意味合いもある。非自己を排除する選別攻撃性といってもいい。
ところが一方で、例えば肝炎ウィルスに罹った場合にこんな現象が起きる。免疫系がウィルスに強力に働いてしまうと自分の肝臓そのものを排除してしまう劇症肝炎を起こし、生命にかかわってしまう。しかしこのウィルスと平和共存が成り立った時は、慢性肝炎となって比較的無症状に経過していく。これを免疫学的寛容と呼ばれている。免疫は非自己を排除するが、完膚なきまでには排除しない寛容さも併せもっている。
ここで、わが感性で多田の予言を翻訳してみた。聞いてほしい。諸君!絶妙な生命現象にもっと驚いたらどうか、生命をもっとリスペクトしたらどうか、こんな生命を宿している人間こそ、あなたなのだ。偏狭なアイデンティティに固執することはない。免疫学的寛容さを信じて、生命の平衡バランスに乗っかるように自在に楽しんで生きようではないか。正月という高揚の中での迷訳となったが、どうだろう。
もうひとつ、多田が解明しようとしたものに老化がある。老いさらばえ死を待つばかりのアダムと、長々と垂れ下がった乳房を皺だらけの皮膚で包んだイブを描いた聖フランチェスコ寺院の絵を示して、老いのすさまじさと不条理を挙げ、免疫系の中枢臓器である胸腺こそカギを握っていると指摘している。胸骨の裏側、心臓の上前部にあり、Tリンパ球と呼ばれる白血球をつくっていて、その大きさは握りこぶしほどで、幼児期から小児期にかけては、体の免疫を担う重要な働きをするが、成長するに従って徐々に小さくなっていき、成人になると退化し、その働きを終える。人間は確実に老い、確実に死に向かって歩んでいく。それに比べたら、癌も心臓病も偶発事故に過ぎない。老化の過程は非連続、不規則であるが、創造的な研究に期待したいと締めくくっている。余談であるが、20年前に亡くなった連れ合いの最初の診断は胸腺がんであった。そんな意味でも、神秘的な臓器・胸腺の解明を待ちたい。
奇縁というしかないが、07年10月18日京都・東寺での薪能「一石仙人」に招かれて、車椅子の多田夫妻にあいさつしたのが懐かしい。
さて、アベクンの慰安婦少女像での発言「日本は10億円の拠出を既に行っている」だが、寛容とはほど遠い。外交の交渉経過はどうであれ、加害者が被害者のようにふるまってどうする。
免疫学的寛容
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