辺見庸が「地蔵背負い」という題でこんなことを書いている。中原中也賞を受賞した詩文集「生首」(毎日新聞社刊)での収録だが、異様な語り口だ。そう長くはない命と悟る辺見の執念のようなものが、言の葉に絡みついている。平穏を旨としている小市民に、これほどの非日常を示さねば、との思いかもしれない。
同棲していた女に縊り殺された友人の内輪だけの侘しい通夜の席である。酒も果て方になると親戚筋が逃げてゆき、残ったのは呑み友だちだけで、みんなが年来の虚無主義者のような疲れた面差しになり、酔ったふりして誰かが小声で自問のように誰かに訊くともなく訊いてしまう。あんなに華奢な彼女にあの男の頸をよくもまあ絞めたもんだよ、そんな力がどこにあったのだろう。最年長の男が座り直して語りはじめる。地蔵背負いで殺ったらしい。昔、石工が地蔵さんを届けるときには、地蔵さんを後ろ向きに立たせて首に縄を巻き、背中合わせにして運んだ。この要領で人の頸を紐で絞めあげると最も力が出る。ひどい顔を見ずにすむし、眼玉も舌も向こうむきで見えないから絞めつづけることができる。それでも彼女は<どうだ、思い知ったか>ではなく、幾度も幾度もお辞儀をしながら、その度に背中で反り返る彼に<ごめんなさいね あなた ごめんなさいね>と優しく囁きかけたにちがいない。
阿部定を思い起こさせるが、男の女の情痴の果てをいっているのではない。共同通信外信部のエース記者であり、在職中に「自動起床装置」で芥川賞を受賞し、また「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞している。96年に退社し、執筆活動に専念していたが、04年に講演中に脳出血で倒れ、翌年には大腸癌にも冒された。その辺見が死と背中合わせにして去来するものは何なのか、同世代として読み解いてみたい。
この女がロスジェネ世代だということにすれば、すべてが氷解するのではないか。ふとそう思えてきた。地蔵背負いにされているのはわが老年世代である。姥捨山を登る息子、娘達が列をなし、その背には仰向けのわが老人世代が眼を剥いている。「ごめんよ、ごめんよ」と優しい声が暗闇にこだまする。
死んだわれらの遺したものは、格差社会と原発からの放射能、他には何も遺さなかった。ということからすれば、フクシマの母親達の地蔵背負いということもできる。背に乗っかるのは原子力ムラの面々であり、東電中枢の面々であるのは間違いない。辺見は宮城・石巻出身でもあるのだ。東北出身の早稲田2文卒。これも素直にうなずける。
10月9日、富山国際会議場で開かれたシンポの中で、作家・広瀬隆はこんな発言をしていた。原発事故は津波ではなく、地震が引き金となっている。活発な活動を開始している4つのプレートに乗っかっている日本はいつ3.11レベルの地震に襲われてもおかしくない。即時全原発の停止以外に安全はありえない。またこれからは空間の放射線量よりも、土壌などに堆積した放射能が問題で、水や食品を通じて体内に取り込まれた放射能の内部被曝が大きな問題となってくる。食品が危ない、と警鐘を鳴らしていた。
私達は原発を制御できないのではない。私達は原発を含めた何かに制御されているのだ、という作家・金原ひとみの視点は的を得ている。
ところで阿部定だが、富山・東新地の「平安楼」に一時期いたのである。関東大震災のあとだから、18歳の頃。まだすれていない阿波定を制御できる粋な男が富山にいれば、あの事件は起こらなかったのでは。辺見とは程遠い通俗な想像力に彼我の実力差を感じてしまった。
「地蔵背負い」