「戦後、日本が分断されるべきだった」。このフレーズが強く記憶に残る。「分断80年」(集英社刊)は在日コリアン3世の徐台教 (ソ・テギョ)が7年余りを掛けた力作である。彼の報道番組「韓国通信」を追ってきた身には、待ち望んでいた1冊。年明けに読み終えたが、新年らしい昂ぶりと在日の著者ゆえの挑発めいたものを感じた。好著である。
「戦後、日本が分断されるべきだった」は「日本に伝える」の項の冒頭に出てくる。憎しみを込めての言葉ではない。韓国語でいえば「プニョム」といい、いわば愚痴みたいなものだと弁解している。
朝鮮半島の分断は米国のアイデアによるもので、トルーマン大統領が8月15日にいい出し、翌日にスターリンが受け入れて確定した。ドイツと同じように「日本への懲罰」として行われるはずの分断が、日本の植民地であった朝鮮半島に対して行われた。米ソという後のライバルの政治的目論見によるものだが、大国の軽いアイデアが小国の未曽有の悲劇を生んでいく。
米国は日本を手に入れ、自勢力に取り組む。朝鮮戦争は朝鮮半島に住む者にとっては地獄に他ならなかったが、日本にとっては「朝鮮特需」の名が象徴するように戦後の経済復興を後押しする一方、外交的にも「基地国家」、つまり米国にとって太平洋における一番のパートナーとして地歩を固めることとなった。今に続くこんな構図は、朝鮮半島が日本の代わりに犠牲になったという認識を韓国の人に抱かせるのに十分だろう。
ここからがポイント。これを素直に口にできない韓国の人の胸の内を想像する。まず分断の歴史において、それを自力で克服できなかった忸怩たる思いがある。外国勢力の干渉に抗い、分断を避けたいとする運動は存在したが力及ばず、国を奪われ、その独立もつかの間、米ソの代理戦争で国土は血の海と化した。これを「人のせい」にしたくないのだ。いわば意地のようなものだが、この気位の高さといってもいい。日本は日本のままでいいが、韓国は韓国のままではいけない。分断という未完の歴史を生きているのだという感覚が付きまとっている。徐台教に対し、時に日本のフォロワーから「申し訳ない」と寄せられるが返事はしない。そう思うなら、日本社会で朝鮮半島の分断解消や平和に向けた声を挙げてほしい。
分断80年。分断第一世代の全面退場が迫る今、南北関係に向き合う最後の機会が訪れている。そういえば、1945年韓国光州生まれの筆者にも、植民地支配を精算する最後の機会が訪れている。徐台教の挑発にも。
注・思い直してブログを再開しましたが、衰えを感じています。