ヒトラーの台頭をなぜ、止められなかったのか。一方で、スターリンの冷酷な独裁を許してきたものは何か。そんな歴史の命題に誰しも、回答を見いだせていない。ジェノサイドは今に続いている。
激動の20世紀ドイツを描く大河小説である。ベルリンの貧民アパートに住む労働者一家の13歳前後の子供たちが主人公となっている。岩波少年文庫「ベルリン」3部作の全6冊。著者である43年生まれのクラウス・コルドンは思春期の読者を想定している。子ども演劇団の運営に携わっている娘から勧められ、感動したのでどうかと、80歳に持ち込まれた。80歳はたまたま岩波ブックレット「検証 ナチスは良いこともしたのか?」を手にしていたので、書縁ということで読み出した。韓国のノーベル賞作家ハン・ガンの作品もそうであるが、歴史は文学によってこそ深く考えることができる。
ナチ政権の宣伝相・ゲッベルスのこの発言から始めたい。ニュルンベルク裁判で「国民に参政権があろうとなかろうと指導者の命令に従うよう仕向けることはいつでも可能だ。それも至極簡単なことだ。攻撃されたと国民に伝え、平和主義者のことを愛国心に欠けると非難し、平和主義者が国を危うくしていると主張すれば事は済む。この方法はどんな国でも有効だ」。これにすさまじい暴力装置が加わるのだ。80歳であっても、身を挺して阻むことは難しい。わが一族も巻き添えにする覚悟はできない。
さて、「ベルリン」の労働者一家だが、第1部ではドイツ帝政を打倒するための内戦状態下での社会民主党と共産党の分裂は小異を捨てきれない左翼小児病といっていい。第2部ではナチが台頭でする中で、やむなく親ナチとなる家族の分断がやり切れない。第3部ではユダヤ系ということで強制収容所に、また共産党員でソ連に逃れるが聖地と呼ばれるその地で、危険分子とされ、飢えと寒さと過酷な強制労働が課せられた。分断は密告、裏切りを日常化し、家族も巻き込まれ、憎しみ合うことになる。
廃墟のベルリンの中で、12歳の少女は収容所から生還した父とふたりで、ピンクの凧を作る。どんなはかない希望であっても、極限状態であっても「希望を捨てたら、人生おしまい」である。そんなことを伝えたかったのだろう。
もうひとつ。女性革命家のローザルクセンブルグが虐殺されず生きていたら、19年にかけてのドイツ革命が違った経過をたどり、またベルサイユ条約でドイツの戦後賠償がもっと軽減されていたら、ヒトラーが政権を取ることもなく、第2次大戦を引き起こすこともなかったのではないか。今日的な視点からの仮説でしかないが、ヨーロッパの歴史を考える時に繰り返し問いかけなければならない。著者はそんな歴史のもしを悔しそうに吐露している。心からそう思っているのだろう。久しぶりにローザルクセンブルグの名前を見て、そうだったのかと自らの不勉強を恥じながら、懐かしかった。
富山の文苑堂豊田店の児童書コーナーに岩波少年文庫「ベルリン」3部作全6冊が並んでいる。誰か手に取ってくれないだろうか。とても気になっている。