アノニマス・デザイン

柳宗理。やなぎ・そうりと呼ぶ。本人は「アイ アム ソウリ」と悦にいっているらしいが、デザイン界では総理大臣といってもいい存在である。1915年生まれだから、88歳。現役のデザイナーだ。文化功労者賞も受賞している。父親が宗悦(むねよし)、庶民の生活用品の中に美を見出した民藝運動の創始者である。生れた時から、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチにお守りをしてもらい、手を伸ばせば彼らの作品に触ることができた生活環境。父親の民藝運動に反抗して、東京藝術大学では油絵科に学び、前衛も目指してみるが、第一次大戦後ドイツ・ワイマールでおきた芸術と生活とを結びつける「バウハウス」運動に傾倒して工業デザインの道を歩む。彼の代表作品といわれるのが、天童木工社製のバタフライ・スツール。蝶の羽を2枚合わせたデザインの椅子である。座ってみたくなる。バウハウスの理念そのものを体現している。芸術作品ではない、製作者が前面に出ていない、人に使ってもらえない限りデザインではない、使い込まれたデザインはデザインした人のものではなく使った人のもの、デザイナーの名前はそうして消えていく。そんな考え方から、アノニマス(Anonymous 無名の)デザインこそ理想としている。「名もなき職人によって作られたものは、今日のこれ見よがしのデザインに比べて、忠実に素直に造られているため、健康な平穏な美しさがある」と柳は語る。民藝にも通じているのである。

柳宗理は、柳デザイン研究所(東京)での活動の傍ら、ほぼ50年近く金沢美術工芸大学で工業デザインの指導をしてきた。このほど米寿と指導50年を記念して、金沢市民芸術村で「うまれるかたち柳宗理デザイン展」が開かれた。片手鍋ができるまで、では何度も何度も模型をつくる作業が繰り返されるのがわかる。「手で考えろ、そして心でつくるのだ」「デザインはつくるのではなく、生まれるのだ」が口癖。その通りがよく理解できる。デザインの持つ豊かさに、もっと早く気づいておればと悔やまれる。恥ずかしい話だが、米三が富山市大泉町に同名の「バウハウス」なる家具店を出店した時に、店名にそんな思いがあったとは知らなかった。残念ながら、今はない。それは市民なり、消費者なりが成熟していなかったともいえるが、それをきちんと知らせる側の責任でもあるように思う。粗製濫造、軽薄な商業主義、環境に配慮しない独りよがりの製品、バウハウス思想はそんなものと早く決別すべし、といっている。

そんなことを思うのは、なんとなくわが住まいの貧困に気づいたからである。残り少ない命ならば、せめて終の棲家ぐらい、「らしさ」あふれる「しつらい」にしたいと最近思うようになった。この際のあふれるとは、もちろんモノではない。何もないけど、あふれている。そんなデザインを頼みたいと思っている。

そして諸君諸姉よ、人生もデザインなのだ。ギラギラベトベトもいいが、最後はアノニム(Anonym 無名)に還るべきものなのだ。名もなく、貧しく、美しく。ちょっと手垢にまみれたセリフだが、仕方がない。

昨夜(20日)、薩摩琵琶演奏による「耳なし芳一」を聞いた。富山市豊城町の蓮照寺本堂。小泉八雲百回忌を記念してのもので、わが畏敬する密田靖夫さんの創作、演出による。「壇ノ浦なる松籟も、生死一睡夢の内」。さわやかな秋の一夜を楽しませてもらった。

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