「金を刷れ、皆に配れ」

 町内でエアコンの設置無しはわが家だけ。近所の人はこの酷暑に齢のことも考えたらどうか、と呆れている。酷暑にめげず、経済書に挑戦した。この暑さのせいもあるのだろうが、本は読めども理解が進まず、キーボードもたどたどしい。大きな原因は、大状況での経済指標と、小状況でのいわば経験による企業とか個人とかの指標とがうまくつながらないことだ。といって、あまり複雑に考えることではない。人間が二足走行となり、石器などの道具を持ち始め、武器をも作り出し、そして便利な交換手段として貨幣を持ち、いまやスマホを駆使する存在となった経済史だが、素朴な座標軸として頭に入れておく必要がある。唯物史観もなるほどという理解だが、今という時間と1回限りの中での与件としての経済環境で、持てる者と持たざる者のせめぎ合いを避けるわけにはいかない。知って学ぶ独立した市民が存在すれば、それぞれに選択肢がある。一番避けたいのは、この摩擦を暴力的な手段や威嚇で抑え込んでしまおうという策謀だ。戦争が大不況を救ってきたのも事実だが、日本の市民革命が不可欠ということ。ちょっと大上段に構え過ぎたので、さておき前に進めたい。
 さて、経済書は3冊である。マルクス経済学者の松尾匡・立命館大学教授の「そろそろ左派は経済を語ろう」(亜紀書房)と「この経済政策が民主主義を救う」(大月書店)。改憲になりふり構わぬアベ政権の、まるで私物化している経済政策に警鐘を鳴らしている。重要課題の前後には、消費増税の延期などの必ず経済問題を持ち出し、時に財界に賃上げの要求もするし、銀行に中小企業への融資も強要する。選挙に勝つためには目に見える景気拡大策を提示し、民主党政権の不況に戻るのかと叫ぶ。その露骨なあくどいばかりの本気度に野党は対抗できていないと、左派・リベラル派に教え諭す論調である。
 あと1冊は「新生産性立国論」(東洋経済新報社)。デービッド・アトキンソン小西美術工藝社長の著で、元ゴールドマンサックス所属の経営コンサルの経験からの提言。統計では、9年連続で人口が減少し、しかも減少幅は最大37万人を記録した。この事実を最も重視して、生産性を飛躍的に向上させ、GDPの規模を維持するしかないという論。GDPとは「働く者の給与」「企業の利益」「政府が受け取る税金」「受け取り利息」の総額で、高品質低価格をやり玉に挙げ、儲けを増やし、給料を上げろ、となる。無能な経営者は去るべきである。
さて、この3冊を読んでの思いだが、半可通の枠を出ない。しかし、この論議を経ないことには絶望に行きつく。左派もリベラルもほとんど経済を語ってこなかった。アベノミクス批判でも、どこか逃げ腰で、事業仕分けで留飲を下げているだけで、NOをどれだけ並べても説得力に限界がある。YESを叫ぶ現世利益追求こそ、政治エネルギーの源泉である。
 始めに、山本太郎の叫ぶ「金を刷れ、皆に配れ」だ。これが正鵠を得ている。緊縮財政はまず貧者が突き落とされる。デフレを脱却し、負の連鎖を押し留めることが最大の命題で、金融緩和は正解となる。ややこしいのはアベノミクスの第1の矢と同じだということ。違いは第2の矢の「機動的な財政政策」だが、アベ政権は設備投資主導で、オリンピック準備や国土強靭化など古典的な公共事業に費やしている。介護保険報酬を削減し、多くの介護事業社倒産など引き起こした。ここは格差是正や医療福祉などに重点的に手厚くし、共生感を培うにつなげることだ。また第3の矢で「民間投資を喚起する成長戦略」というが、これは必要ないというのが正しい。国家が成長戦略を定めるといっても、森友加計学園は氷山の一角で必ず既得権益者との癒着が伴う。  
 政治制度の民主主義がある程度確立しても、経済的な不平等が存在すれば、民主主義は不完全なものとならざるを得ない。みんなに配られたカネをとにかく回すことに尽きる。どんな配り方をするか、さあ論議を深めよう。

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