一通の手紙に胸塞がる思いがした。人生の晩年に差し掛かってなお、神はこのような試練を課すのである。35年前、故郷を捨てざるを得ない状況に追い込まれ、千葉に移り住んで婦唱夫随で宅老所を立ち上げた。新湊小6年2組55人の中から4年制の大学に進学したのは10人に満たない。そのひとりで日本社会事業大学に進んだ。厚生省肝入りのいわば公設民営の大学で、福祉の東大とも呼ばれている。あの頃にそうした情報を得て、進路を定めるのだから、18歳にして自分の行く手に確信を持っていたのだ。また、異郷の地であるからこそ挑戦できたのではないか。しがらみの無さと失うものがないというというのがむしろ幸いしたといっていい。手塩にかけた託老所は2000年の介護保険導入を機に、NPO法人としてデイケア施設となり、そこの理事長となり、30年が過ぎたことになる。手紙はその退任にあたって綴っている。
何の趣味もなく、ただ突っ走ってきたこれまでの来し方。気がつけば古稀になっており、5回も身体にメスを入れ、ボロボロ。夫もこのところ体調が悪く、思うにまかせない。思いを託した後任の人と経営の在り方について話をしてきたつもりだが、職員の待遇改善をめぐって何か根本的なところで違うと感じた。しかし退任する身としては、受け入れるしかない。気持ちの張りがすべて失ってしまったというのが本音です。
人生の下り坂といえば、もうひとり。このブログにも再三登場した福島・いわき市に住むドン・ホセである。糖尿病が高じて視力を失いかけている状態だという。おせっかい老人4人は、本人のほっといてほしいという気持ちを相変わらずの強がりだろうと出かけた。4月24日からの1泊2日。東北大震災後の2012年に同メンバーで見舞いに出かけており、4年ぶりだが、思えば厄介な男である。今回はパジャマ姿で玄関まで出てきたが、そのまま引っ込んでしまって、呼びかけにも一切応えない。待たせてあったタクシーでそのまま宿泊先であるいわき温泉という始末となった。繰り言を嫌う美学を持ち合わせるメンバーで、そのことを一切話題にせずに一夜の酒肴に興じた。寝る前に浮かんだ短歌が「玄関にぽつんと置かれし鱒の寿司老いの孤独と愚かさ哀し」。古稀にして視力を失い、青春を共にした友人を拒絶するドン・ホセの胸を去来するものは何か。心を通わせるには同じく眼をくり抜くくらいの友情の証を見せてみろ!といっているのかもしれない。安っぽい憐憫の、お涙頂戴はやめてくれ!野垂れ死にしたってお前らの甘っちょろさに乗ってたまるか。何度でもいう、もうほっといてくれ。真意はそうなのかもしれない。
思えば、70年も生きてきたのに、生きる知恵みたいなものが何も身に付いていないのに驚く。そもそも、そんなものはもともとないのではないかとも思えてくる。なだいなだの取りあえず主義が思い出される。「とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう」。ということなら、とりあえずビールでも飲むか。
沖縄の翁長知事はやはりホンモノである。元米兵の遺体遺棄事件をめぐってのアベクンとのやりとりだが、「できることはすべてやる」と腕まくりをする首相に「(政府の)できることはすべてやるという言葉は、できないことはすべてやらないとしか聞こえない」と返したが、溜飲が下がるとはこのこと。地位協定改定に触れることが誇りある国民への誠意である。茶番の断固抗議、再発防止にごまかされてはいけない。とりあえず。
下り坂も、とりあえず。