究極の分かち合い

菅首相誕生で思い出したことがある。伸子夫人から、友人を介して、富山で民主党のPRをしたいので、どんな小さな集会でもいいから開いてくれないか、との依頼を受けた。メールをたどってみると、04年3月のことであった。年金未納事件で窮地に追い込まれていた時期だ。夫人と津田塾同期のわが友人からは、彼女は家業(菅の政治活動を家業と称している)を手伝っている感覚で、草の根運動が大事とばかり、あらゆるツテを使って全国を飛び回っているのだという連絡だった。
 返信のメールである。人を集めていただくのは申し訳ない。自分でひとり一人を訪ねて民主党のPRをするつもりです。人を紹介していただければ、それで結構でございます。門前払いを食っても、一軒一軒紹介された人を訪ねて歩くのが、一番地道で効果的であると思っています、というもの。これは内助の功というより、同志なのだと理解した。残念なことに、彼女はその後すぐに、くも膜下出血で入院したこともあり、立ち消えとなった。
 首相・菅直人63歳、官房長官・仙石由人64歳。財政でのブレーンといわれる神野直彦東京大学名誉教授64歳。同年齢世代が国政を動かすこととなった。石原都知事評では、極左政権ということになる。それはさておき、わが世代いま一度奮い立ってもいいのだ、というメッセージと理解したい。それは町内会長でも、シルバー人材センターでも、それぞれの立つ位置をそれぞれで決めればいいだけである。貴賎軽重などあろうはずがない。彼らの内閣は、普天間問題に、財政再建に否応なく立ち向かわなければならない。そうであれば、町内会改革、老老介護などなど彼らに比すべく重要課題に事欠くはずがない。そんな心意気で望みたいものである。
 取り敢えずは70歳までの5年が与えられた任期と心得たい。さすれば、選挙投票だけで世の中が変わるほど、単純に世の中ができていないこともよく理解できるはずである。60年余り生きて、人生も社会も家族も、これほど複雑で、困難で、厄介なものはない。そんな認識は骨身にしみているはずだ。強いリーダーシップのもとに、痛快に一刀両断で、正義は勝つなどまず起らない。また起ったとしても、日をおいてみると、似て非なるものに変質している。そんな煮え湯を飲んできた世代の経験や知恵がどう生きるのか、最後の挑戦をしてもいいのではないかということだ。
 もうひとつ。この世代から「男の寿命は75歳」と決めてはどうか、の提案である。後期高齢者医療制度なるものが作られたが、こちらから願い下げであると宣言する。そのうえで、75歳を過ぎたら次なる世代からの医療介護支援を拒否する後期高齢者期成同盟なるものを創設したい。もちろん強制ではなく、自発的な参加だ。既成同盟会員の年金が自発的に提供され、その範囲内での自主運営となる。悩まされてきたカネからも解放され、みんな貧しくとも等しい、後期高齢男子・原始共同社会が出現する。後期高齢者専門賃貸住宅を認定するが、各地域にある統合で余った学校、古びた公営住宅を簡単に修繕し、これに充てる。終の棲み処である。そして、ここに同居する75歳以上の男性医師、男性看護師が最低限度の総合診療を担うこととする。もちろん延命治療など論外で、救急車もここには立ち入ることはできない。死を待つ家ともいえるが、陰気臭さなど微塵もない。なぜなら、65歳での一念発起が彼らにいいようのないやすらぎ、充足を与えているからである。家族からは、おじいさん、近所の手前もあるから、期成同盟に入会してよ。さもないと、あなたとこのおじいちゃん意気地なしね、と非国民扱いされるのよ、と迫られることはいうまでもない。これぞ究極の「分かち合い経済」だと思うがどうだろう、神野教授。
 新内閣発足に思いを巡らせているとこんな結論になってしまった。ところで、菅の頭の中に、普天間はどのように描かれているのであろうか。
 参照・「分かち合い」の経済学。神野直彦著。岩波新書。

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