荒ぶる侘び

近代茶人の双璧といえば、鈍翁こと益田孝と三溪こと原富太郎。益田は三井財閥の大番頭、原は生糸貿易で財を成した。明治の実業家はほとんど成り上がり。何かで権威付けをする必要があったのであろう。能と茶が、実業界サロンの必須の条件。茶を啜り、相手の器量を探り、やおら仕事を切り出す。南北朝、室町期の闘茶の名残り。この二人のあとに続くのが、耳庵こと松永安左エ門。電力の鬼といわれ、戦後、電力国営化の動きに断固反対を唱え、日本発送電を九電力に解体、民営化したのは松永である。その後大幅な電力料金の値上げを行い、産業復興に必要な電力供給の基盤を築いた。

松永耳庵は茶人としてのスタートが遅く、昭和6年60歳の時。根津嘉一郎(東武鉄道)、五島慶太(東急鉄道)、藤原銀次郎(王子製紙)などにからかわれるほどであった。昭和12年茶界を震撼させる事件?が起きた。主役は耳庵。売りに出された大井戸茶碗「有楽(うらく)」を14万円余で競り落としたのである。現在の貨幣価値で6~7億円。さらに続けて、戦国大名・蒲生氏郷(うじさと)作の茶杓を1万6千円で、これも落札する。日を置かずにざっと10億円。負けるものかというバサラを演出して見せる度胸も必要なのである。茶道具はその来歴がものをいう。松平不昧(ふまい)、紀州徳川、加賀前田とかが箱書きにあり、誰の所有来歴かが最優先。つまりその後継のような気分になるのであろう。

もうひとつエピソードを持っている。耳庵に書画骨董の手ほどきをしたのが北大路魯山人。魯山人のいうままに求めている。ところがある日、酔った魯山人が耳庵の親友小林一三(阪急電鉄)をケチだとののしった。それを聞いた耳庵、魯山人を縁側から放り出して、二度と会うことはなかった。

<荒ぶる侘び>のスタートである。その耳庵、生涯、茶の手前を身につけることはなかった。手前勝手に茶を点てる。その茶はなかなかに旨かったらしい。なによりもその道具に位負けすることはなかった。時に古新聞の上にやかんを置いて、度肝を抜いた。茶とは何か。互いに強い緊張を発散しつつ対面する場であるからこそ、あの狭く、そぎ落とされた空間が必要であり、生きてくる。利休もそう考えていたに違いない。

さて、きょう17日ブッシュ大統領がやってくる。既にイラク支援の無償15億ドルを決めており、偉大な国の偉大な大統領を遇するに用意万端整ったように見える。そして自衛隊の派遣時期もぐっと現実味を帯びてきた。

ほんとうに日米関係は、このままでいいのであろうか。先日コッポラの「地獄の黙示録」をいま一度見てみたが、ベトナムをイラクに置き換えれば何も変わっていないことに驚く。気温が40度50度の中のフル装備、兵舎の冷房もままならない。そして想像以上の恐怖の中での治安活動。イラクの現地報告は悲鳴に近い。

そして、日本外交から聞こえてくる声は諦めに近い。そんな状況で、カネもヒトも出さないといえるのか。本当に、国際社会の一員として、イラク復興に手をこまねいていていいのか。何よりもアメリカの外交の怖さを知らないのではないか。アメリカは日本の一人歩きを許さない。金大中が南北会談を実現させた時、「南北朝鮮を仕切っているのはアメリカだ」といわんばかりの冷淡さを見せ付けた。小泉訪朝の成果も、いつの間にか核疑惑が最大のテーマとなり、拉致はらち外を置かれている。日韓も、日朝も、日中も、いわばアメリカの掌の中でしか許されないのだ。日本が最も望んでいるアジアでの協調と連帯を、アメリカが許さない。追い詰められたアメリカの冷徹なプラグマテイズム(実用主義)としての分断策だ。今のおびえたような国民を見ていると、何ができるというのだ。思考を停止させて、毒を食らわば皿までと、うそぶくしかないではないか。

はてさて、この日米関係のこの重し、呪縛を取り去る哲学、外交戦略を持たないと、日本の未来はない。日本外交の軽さ。それはわれらが日常から来ているといっていい。

小泉―ブッシュ会談を前に、茶道なるものがふとよぎった。というのも、10月7日兼六園を歩いていると、時雨亭で誰でも入れる茶会が開かれていた。ふらふらと入ると男子がひとりということで正客に。このくらいを乗り切らないでどうすると、自らを奮い立たせた。そして松永耳庵を思い起こしたのである。

そうだ、ブッシュはあきらめよう。次なるアメリカのホワイトハウスのスタッフを、茶室に引っ張り込むしかない。さあ友よ、これが日本のほんとうの気持ちなのだ。日米の闘茶である。

今週末は秋田へ出かける。初孫との対面である。わが<荒ぶる愛>をみせてくれん。

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