「つまをめとらば」

67歳での直木賞受賞と聞けば、敏感に反応せざるを得ない。その作品は月刊「オール読物」3月号に掲載される。選考経過も含めて読める上に、やはり格安お買い得となる。芥川賞は月刊文藝春秋に掲載され、それぞれ大増刷?となる。もちろん受賞第1作は別冊文藝春秋と決まっていて、文春の営業政策に乗っているといえば、身もふたもないが両賞はそういうことである。  
 ともあれ作家・青山文平ははてさてどんな男か。1948年生まれの団塊世代で、早稲田大学を出て、東洋経済新報社に入る。しかも記者としてではなく、広告のコピーライターだ。よく似た境遇だけに事情は推察できる。学業成績はなっていないので、推薦には程遠く、公募であるマスコミ関係しか行けなかったのだ。それも傍流である。本人もいっているが、これが直木賞につながる最初のスイッチだった。広告だから読まれない、読まれても信用されない。読ませるため、信用させるための文章の作り方を自分で探さなければならない。この時代に自分の文体が培われたというが、その通りだろう。人間万事塞翁が馬とはこのこと。自分の文章を広告だけでなく、もっと別の活かし方があるのではないか。そう思って18年目で退職し、フリーになった。42歳の時で、初めて書いたのが「俺たちの水晶宮」だが中央公論新人賞を受賞している。その後、書けなくなってしまう。果たして何を表現したいのか、呑めない酒をあおったりして自分で自分を追い込む。何とギブアップ状態が10年続く。書くことなんか考えられないと思っていたのが、女房の国民年金の手続きに社会保険事務所に行った時に、月額66,000円と聞いて愕然、老後の生活資金のために書こうとなった。小説を書く動機などはカネと女房で足りるということ。63歳でペンネームも青山文平として「白樫の樹の下で」を上梓し、松本清張賞で再デビューを飾った。
 さて受賞作「つまをめとらば」を読んでみた。「男心は男でなけりゃ、わかるものかとあきらめた」という人生劇場の枠を出ない女性観なのだ。俺は嫁運が悪いといって、最初の幾(いく)は次男を麻疹で失ってから着物道楽で散財され、死別する。その後豊(とよ)と再婚するも3日で実家に戻ってしまい、3度目の紀江(のりえ)には不義をされて、本来なら妻仇討ちだがかわいそうと早々に断念し、去り状にも「互いの縁これなく」と穏便な文句で収めてしまい、そのうえ土産金20両の返還も求められて借財を背負う羽目に陥る。そして佐世という下女を見た時の感じ方である。罪のない童女のような顔を、罪ではち切れそうな躰の上に乗せている、という。このアンバランスがどうにもわからない、と感じる女嫌いを描いている。女はみんな特別だ。そうでなくとも、女は自分の感じ方に、絶対の信頼を置くことができる、と嘆いてみせる。直木賞選者の桐野夏生は、女の側の視点が欠落しているために、男たちの魅力が褪せていると評しているが正鵠を得ている。藤沢周平には届かない。67歳の直木賞は心筋梗塞、大腸がんで取り敢えず生き残っているが、生かされているといっていい。
 小説の手法だが、あらかじめのプロットでは書かない。大枠と最初の場面だけを考えて、あとは登場人物たちが何をしゃべり、何を判断したかによって次の筋が降りてくるのを待つ。「わあ、こんなふうになってしまった!」と自分も楽しませるようにしている。そんなものなのである。
 妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けあり。そういえば、放歌高吟して高田の馬場周辺で呑んでいた恥ずかしい時代があった。

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