ご存じ今、熊本で旋風を巻き起こしている台湾の半導体製造企業TSMCを探ってみた。台湾総統選は終わったが、民進党も、国民党も、新しい第三党の民衆党も挙って「TSMCは国の宝」だという。その「国の宝」の生産拠点をなぜ、海外に移していくのか。中国の台湾侵攻を懸念するからだが、中国のこれ以上の経済拡大を望まない国々が招致に動く、というわけだ。その渦中にある日米独ともに、手厚い補助金を惜しまない。日本だが、熊本第1工場には建設費用1兆円に対し4760億円を、次なる第2工場には2兆円のうち3分の1にあたる7500億円を出す。破格の補助金だが、野党からも疑問視する声はない。そして、第4工場までが既定路線だ。関連企業も次々と進出するといい出し、工場周辺農地は値上がりして、地主は「10倍になった」と笑いが止まらない。
しかし無条件で進出するほど、甘くはない。熊本第1工場は12ナノ、第2工場は6ナノといわばオールド世代の半導体である。最先端の2ナノは台湾高尾市の最新工場で量産化に挑む。台湾企業というDNAは捨てないということ。何よりも台湾人の優秀なエンジニアがいてこそ、最先端が維持できている。就職市場でのTSMCは、技術者優位で自由な社風と、気前のいい好待遇を訴え、一流人材を掻き集めている。平均年齢が若いのに、年収は日本円で2000万円を超えている。
TSMCの沿革をみると、蔣介石の息子・蔣経国が生みの親。モスクワの留学時代、鄧小平と出会い、すごく気が合う仲だった。台湾に高度な自治を認めながら統一を進める「一国二制度」を唱えたのが鄧小平。ふたりの仲なら何とかなると考えていた節がある。蔣経国は1974年、台湾が高成長を続けるにはハイテク産業が不可欠と号令をかけた。韓国が国外で活躍する韓国人研究者を高給で引き抜いて成功しているのを目の当たりにして、倣った。半導体を選んだのは米電機大手RCAの集積回路統括長をしていた潘文淵との出会い。台湾から資金を引き出そうと、とにかく技術を惜しみなく伝授した。これを受けて、国策として半導体産業の育成に乗り出した。まず技術の受け入れ先として工業技術院を作り、そこの院長にテキサスインスツルメント副社長のモリス・チャンを招いた。彼は香港で育ち、ハーバードに留学し、その後マサチューセッツ工科大学に転じて、スタンフォードで博士号を取得している。このエリート尊重の独断専行主義が成功へとつながった。モリス・チャンが製造受託型の起業を提案し、1987年にTSMCを設立。とにかくショートカットの猛スピード、決め手になったのが不良化率の改善で、究極1%以下に飛躍的に引き下げ、利益率は急上昇した。少数のエリートが即断即決するやり方を、熊本でも踏襲していく。
TSMCの最大の課題は中国の包囲網といっていい。TSMCの技術者100人引き抜き、上海で起業した中国企業が中国ファーウエイのスマホに供給した。世界初という7ナノの半導体を使用したスマホで、市場に打って出た。技術は盗み、盗まれを繰り返し、米中の半導体競争に深く巻き込まれそうになっている。
さて、国産化で巻き返しを図るラピダスはどうだろうか。通産省主導といえば、原発利権に付け込んで暗躍し、とにかくカネに執着する甘利明の影が見え隠れして、本当の国益が追求されているのか、心もとない。
知識創造企業を提唱した野中郁次郎は、この動きをどう見ているのだろうか。ビジネススクールのケースに当然TSMCは入っていることと思う。日本の若きエリートに、ぜひ学んでほしい。