高速道路の料金にはいつも腹立たしい思いをしている。最近は滅多に乗らないが、自宅から30キロ近く離れた勤務地だった時、自分なりの理由をつけて950円を支払っていた。通勤費が高速代で消えてしまうこともしばしばであった。そんな疑問に応えてくれたのが04年発刊の岩波ブックレット「高速道路 何が問題か」。この小さな本が道路公団のペテンのようなからくりを論破してくれた。
償還主義というまやかしである。公団民営化の論理は高速道路を作る財源がないので借金をする。その借金を高速道路を利用する人から料金を徴収して、返済に充て、返済が済めば無料にする、その目途は2050年である。あと45年待ってほしいというものだった。65年に開通した名神高速はもう返済が済んでいるのではと思うが、全国の高速交通網を一括しての会計なので待たなければならない。料金の算定も全国プール制の1キロ24.6円だが、土地の買収費用など一切を含めるということでバカ高になっている。ちなみに韓国3.7円、フランス6.4円である。普通にモノを作って販売する企業であれば、土地代や建設費までも商品価格に乗せられるわけがない。全額償還するという言葉にごまかされてしまっているのだ。税金で作る道路は無料、借金で作るから有料という理屈だが、根っ子には税金はタダという感覚がある。民営化といってもすべての原価が上乗せされるので、経営能力など全く必要ない。高速道路が需要とは全く関係なく作っていけるはずである。先日の山陰旅行でバスガイドが中国道路に差し掛かり、ほとんど車をみかけない高速ですといって、ようやく1台がやってきましたと揶揄していた。この人事権も実質官邸が握っているので、忖度も当然で格好の天下り先となっている。もし、期限を切った償還ではなく、無期限有料とすれば4分の1で済むかもしれない。国民目線を欠き、本質とは程遠い論理をもてあそぶ無責任の典型が高速道路政策に見て取れる。
さて、この高速道路問題を一刀両断に切ったのは宮川公男(ただお)・一橋大学名誉教授であるが、30年くらい前に面識を得てお世話になった。国際化をテーマに全国の中小企業を対象にしたフォーラムで、今でいえばファシリテーター役を務めてもらったのだが、実に鮮やかだった。テーマの設定、講師の選定などあっという間に出来上がった。宇奈月で慰労会をした時に、開発銀行にいらした山下功さんが確か富山におられるはずと聞かれて、わが家の隣ですとその場で電話をした。あと忘れてならない富山と一橋人脈についても記しておきたい。それぞれ名誉教授となっているが板垣與一は新湊、篠原三代平は高岡出身で高岡商業学校から一橋に進んだ。高岡商業学校のレベルの高さはもっと評価され、語り継がれていい。
そして11月に入って、ぶらりと富山県立図書館の新刊書コーナーに立ち寄るとその懐かしい名前にすっと手がのびた。「統計学の日本史」(東京大学出版会・宮川公男著)。まだ健在だったのである。実はその後、新橋にあった財団法人統計研究会に宮川理事長を訪ねていて、前年に腎臓がんと宣告されたが独自の療法で克服するとその決意を聞いていた。もう30年も過ぎていたので、そんな驚きとなった。「スタチスチック」は統計学をいい、江戸末期に国勢を統計数字で表すという言葉で理解されていた。福沢諭吉、大隈重信、杉享二、呉文聴、森林太郎(鴎外)をそれぞれ強い関心を寄せたことを調べ、統計学のよって来たるところを述べ、ビッグデータ社会となってなおその必要性を問う好著となっている。31年の生まれだから86歳。あとがきに今年に入って耳下腺がんの手術を受けたとある。ご快癒を祈りたい。