中年の男たちが映画を見終わってトイレで泣いている。そんな触れ込みもあり、藤沢周平と山田洋次の組み合わせを見逃すわけにはいかない。しかも山田洋次にとっては初の時代劇。それに富山映画サークルの久保さんにひょっこりと出会い、全国共通特別鑑賞券を求めていた。
12月14日、富山松竹で午後1時からの1回だけの上映に出かける。久しぶりの晴れ間に、雪化粧をした立山連峰が飛び込んできた。富山に生まれて良かったと思う一瞬である。館内は30人程度の入り。もちろんわが同輩もどきばかりだが、予想以上の入りに驚いた。
幕末の庄内・海坂藩。その下級藩士・井口清兵衛が主人公。「たそがれ清兵衛」とよばれるのは、たそがれ時に下城の太鼓が鳴り響くや否や家路につくことから。だが清兵衛には事情があった。妻は長患いの末に労咳で世を去り、残された二人の幼い姉妹と痴呆に入った老母をかかえ、その世話、炊事、洗濯に畑仕事と清兵衛ひとりの肩にかかっていた。その上に妻の治療などの借金である。夜遅くまで内職もこなさざるを得ない。しかし、他人が思うほどそんな生活が惨めだとは清兵衛は思っていない。「二人の娘が日々育っていく様子を見ているのは、草花の成長を見るのに似て、楽しいものでがんす」と。
その清兵衛に人生の歯車が廻りだす。幼馴染の飯沼の妹・朋江の出現。朋江は1200石の大家の御曹司・甲田豊太郎に嫁ぐ。しかしこの豊太郎が大変な酒乱で、殴る蹴るが日常茶飯。飯沼ではこのままでは命が危ないと離縁させる。これを根に持つ豊太郎、酔った勢いで飯沼家に難癖を付けに出向くが、そこに居合わせた清兵衛と決闘になる。ところが清兵衛の腕はたしかで、豊太郎に木刀で立ち向かい打ち負かしてしまう。朋江はそれから清兵衛の家になにくれと立ち寄り、姉妹の相手をしたり、掃除炊事を手伝うようになる。朋江は兄を通じて清兵衛の後添えにと持ちかけるが、いかに下級藩士の暮らしがつらいものか、とても朋江にそこまでは強いられないと断る。亡妻に本家の手前もあるから、もっと出世してくれと何度もいわれていたのである。そして海坂藩にお家騒動。そこでその時の腕を見込まれて、藩きっての剣客・余吾善右衛門を討てとの藩命が出る。逆らうわけにはいかない。その日朋江に髪を整える手伝いを頼む。そこで清兵衛はもしこれが成就すれば、嫁いできてほしいと告げるが、朋江には会津藩士のところに嫁ぐ約束が既にかわされていた。二人はこれが最後と決め、別れを交わして清兵衛は出向く。死闘の末やっとの思いで討ち果たし、家に帰ると意外や朋江は待っていた。
3年ばかりの楽しい日々が続くが、そこに戊辰戦争。海坂藩は幕府側につき、攻め上がる薩長と一戦を交える。その時銃弾で清兵衛はその生涯を閉じる。明治維新を経て、朋江は東京に出て二人を立派に育て上げる。娘である姉が清兵衛の墓にやってきて回想するところで終わる。
「夜濯ぎの独り暮らしの歌果てず」これは藤沢周平の句。藤沢自身が幼子を残されて先夫人を失っている。そんな挫折なり断念なりがこの作品に色濃く出ている。山田洋二はこの原作を借りて、いまの時代の、幸せの虚妄を衝いている。寅さんが出てきて、「サラリーマン諸君、みんな清兵衛でいいではないか」「無欲が一番。たそがれ時には家路につこうぜ」といっているのである。朋江演じる宮沢りえが色っぽく成長しているのには驚いた。
ところで藤沢周平さん。黄泉の国にお住まいなので詮無い事ですが、甲田姓を使うんだったら、もうちょっといい設定で使ってもらえませんかね。酒乱でDVではあんまりですよ。