小児病的改革論者

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」。ご存じ山本五十六の言だが、仙谷官房長官が長妻前厚労相の留任を阻んだとの記事を読んで思い起こした。これは仙谷の判断が、というより懸念の方が正しい。朝日新聞11月9日付け見出しが「脱官僚 民主の変節」とあるが、マスコミ人種の若さと甘さである。落下傘よろしく脱官僚改革の御旗を手に厚労省に進駐し、居丈高な命令口調でやって変わるほど人間は単純にできていない。神は細部に宿る、改革も細部に宿る。長妻と志を共有する官僚がひとりとして現れていない。
 垣間見える長妻の仕事ぶりはどうか。昨年9月鳩山内閣での厚労相就任した直後から、次々と指示を飛ばした。多い月には300件を超え、年末年始もなく1年で2,000件を超えたという。末端である富山労働局で名刺を交換した時に、この名刺も長妻大臣の指示で作成したものですといわれ、驚いて再度見入ったほどであった。ほとんど正論であったろう。しかし、政治主導だと有無を云わせず指示される側はたまったものではない。まして政権交代直後であり、この権力が永久に続くと思われないのに唯々諾々というわけにはいかない。これらの指示に納得していた官僚は1%もいないといわれ、菅内閣の仕切り役を任された仙谷が陣取る官邸に長妻批判や更迭を求める悲鳴に似た声が届いた。仙谷の懸念は官僚のサボタージュという最悪事態をすぐに想像し、更迭を即断したといっていい。頭に浮かんだのは“左翼小児病”の文字であったろう。公式論のみを振りかざし、現実、現場を見ていない。一歩前進二歩後退という妥協も、時にやらねばならない。それを長妻では無理であろうと判断したのである。
 わが世代からすると長妻に限らない。与党、野党問わず、とても堪えられない。前原誠司もそうである。「領土問題は存在しない」など歯切れのよさに潜む危険を本当に知っているのだろうか。安倍晋三とも波長が合うというが、なおのこと危うさを禁じえない。召還した河野雅治駐ロシア大使を厳しく叱責している光景が見えてくる。原口一博も然りで、事務次官更迭、ツイッターをしていて委員会に自ら遅刻した責任を官僚に押し付け、これも担当課長を更迭している。反論できない相手には、ここぞとばかり切りつける。繊細さを欠くこの世代に本当に将来を託していいのだろうか。
 マスコミでは取りあげないが、沖縄知事選に出馬している伊波洋一・前宜野湾市長はこんな発言をしている。豊かな漁場の尖閣諸島近海は話し合いを続けて平和的な漁業を実現しなければならない、と先島諸島への自衛隊配備にも反対だという。その真意は国家主権や国境へのこだわりを捨てて、沖縄島民、台湾や中国東シナ海沿岸部の漁民達が昔そうだったように、尖閣諸島海域を自由に入り会い、サカナが獲れるようにしようとする発想である。これを荒唐無稽なセンチメンタリズムと切って捨てているのがマスコミ論調である。
 もうそろそろ20世紀の手垢どころではない、何千万という血に染まった「領土ナショナリズム」から解き放たれていいのではないだろうか。そんな時代が来ているように思う。松下政経塾にかわる沖縄政経塾を育てなければならない。抑制の効いた、心にしみいる論戦を聞いてみたい。
 そして、せっかちな老人の話は飛ぶのだ。そんな見果てぬ夢よりも、8年ぶりで全国大会出場を決めた水橋高校サッカー部の快挙だ。三男が全国大会に出場したのが9年前。国立競技場での入場行進などいい思い出がよみがえってきた。長く辛い雌伏の日々、それを超えての紙一重の勝利。これは心から喜びたい。

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