「数学する身体」

本だけに限らないが、ネーミングは売れ行きを左右する。数学=数式と計算と思っているのに、身体とは何か。まして数学で挫折している人間であれば、どんな考え方をしているのか興味が沸く。著者の森田真生は85年生まれだから31歳。数学年齢からすればその吸収力はピークといっていいかもしれない。彼は座学だけの勉強に違和感を覚えて、東大文2から理学部数学科に転じている。そのきっかけは数学者・岡潔の「日本のこころ」を読んで深く感じ入り、数学のできる友人に話すと「岡潔はやばい、レベル高い。10年くらい粘り強くやったら、ひとつくらい仕事はできるだろうから、覚悟を決めてやってみなよ」の一言。数学の中心は情緒である。これが岡潔の信念で、「数学は知性の世界だけでは存在しえない、感情を入れないと成り立たない」と小林秀雄に語り掛けている。
 そんな導入だが、この「数学する身体」(新潮社)の刊行にいたる過程が面白い。運よく書店で「みんなのミシマガジン森田真生0号」(ミシマ社)が見つかり、出会いと出版への情熱がうまく機能しているのがわかった。
 「一冊の力」を信じることをモットーに06年ミシマ社を立ち上げた三島邦弘は、出版を次の時代に引き継ぐために実験し続けないと思い定めている。京都の喫茶店でふたりが出会ったのは3年前。森田はどこにも、誰にも属さない独立した数学者を目指していて、数学でライブする「数学の演奏会」「大人のための数学講座」を展開していた。その席の発案で「数学ブックトーク」を始めることになり、これが刊行へとつながっていく。最初に分裂した細胞。初めて言葉を発した人。二足で立ち上がった祖先。生命のあらゆる振る舞いは、習慣から逸脱して始まり、繰り返される反復の後、再び新たな習慣に回収されていく。ふたりはそれぞれの分野でやり直しを選んだのである。
 もう一つの出会いを紹介する。森田はひょんなきっかけから、建築家・荒川修作が建てた三鷹天命反転住宅に住んでいた。トイレを仕切る壁がなく、床は凹凸で、呼び鈴は斜めに傾いている。勉強部屋は球状で、和室は砂利が敷き詰められて、収納は天井からぶら下がっている。惰性でトイレに行くことも、習慣の延長で歩くことが許されない。荒川から学んだことは、不器用でも、生まれたばかりの赤ん坊のように、あらゆる所作を初めてする時のように行ってみると、新鮮な行為の驚きとともに、世界の新しい意味が湧き出してくる。人生は誕生から死への単調な衰退の道ではなくて、本当は繰り返される生成の場面の連続なのである。驚きからじかにものを考えていく。彼らは岡潔から続く思考の継承を行っているのかもしれない。
 人生のもし、である。小学6年の時が数学年齢のピークであった。中学受験もあり、今日は麻布中の入試問題に挑戦という形で、ひとり机に向かっていた。巻末の解答をのぞくわくわく感は今でも忘れられない。算数から数学への階段を登れなかったのだが、チャンスは高校時代にあった。陽(みなみ)という数学教師が担任でもあったのだが、すごく評価されていた。もう少しこちらから近寄っていれば、違った選択肢があったのかもしれない。頭の片隅に、どんな仕事に就くのかということもあり、理系は断念したのは間違いないのだが、ふと当時のことが思い出された。それでも、数学を仕事とする範囲は格段に広くなっている。保険数理人であるアクチュアリーや、和から株式会社のように森田の実践ゼミをやるところもある。高校生諸君は取り敢えず「大学への数学」に挑戦してほしい。
 さて、トランプ大統領の誕生となったが日本にとっていい試練である。どんな国の形を作っていくのか。戦後のやり直しである。天皇の退位問題もあり、経済、安全保障も含めて大きな論議をしていかねばならない。間違っても防衛費を倍増することがあってはならない。

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