「うぬぼれ鏡」

スターリンは、いつ、どのような環境のなかで、千島領有の要求を持ち出したのであろうか。そんな書き出しで、26年前に東京新聞のコラムを書いたのは藤村信である。中日新聞特派員、同社パリ駐在客員として40年間滞在した。月刊「世界」に連載されたパリ通信はベルリンの壁崩壊、ソ連体制の瓦解、民族主義の復活などを見事なまでに予見し、解説してくれた。06年に亡くなった時には、西欧をみる羅針盤を失った気持であった。書棚から取り出してきたのは「歴史の地殻変動を見すえて」(岩波書店)で、死後「うぬぼれ鏡」と大書された封筒に入っていた原稿をまとめている。
 コラムを要約してみた。戦後、ソ連が千島を領有したのはヤルタ会談の密約に始まる。英米は大西洋憲章で領土不拡大を宣言する中で、この密約を条件にスターリンは対日参戦を約束している。ルーズベルトが対日戦を犠牲少なく、早く終わらせたいという願望である。ヤルタに先立つ1年前のテヘラン会談で、蒋介石に琉球の中国帰属を提案していて、この時に中国が琉球なら、千島をソ連が「ものにできる」と確信したのではないか。蒋介石は後に琉球を求めず、外蒙古を求めたので実らなかった。こうしてながめると、琉球と千島とは相関連するひとつの輪で結ばれていた。かつて日本が「2島返還」でソ連と手を打って南千島問題を片付けようとした時、アメリカのダレス国務長官が「それならば沖縄を返さない」と反対したのは、冷戦のすさまじさもあるが、それなりの由来を持っていたのである。
 藤村の述懐だが、「領土問題に限らず、日中・日韓問題にもいえることだが、日本の政治家らにもっとしっかりと日本の歴史を勉強 し、相手国の歴史、文化、宗教を学ばないと海外から馬鹿にされる。何しろロシアといい、中国といい巨大な国で、多種多様な民族、種々の宗教や文化が混合した大国。これに比べたら日本はおめでたい国なんだ。彼らと対応するのに日本のものさしで外交を行ったらしくじる」。東西ドイツの統一がうまく運んだのは、ソ連のシュワルナーゼ外相と西ドイツのゲンシャー外相の思想と友情があったればこそといわれるが、15回会談を重ねているプーチンー安倍がそんなレベルに達しているとはとても思えない。
 もう1冊ぜひ紹介しておきたい。「北方領土問題の内幕」(筑摩選書)。著者は若宮啓文・元朝日新聞主筆だがこれも遺作として刊行された。16年4月に北京のホテルで客死したのだが、原稿は筑摩側に渡されていたのである。若宮のこの刊行にかける執念は、父・若宮小太郎が鳩山首相の首席秘書官として訪ソして、56年の「日ソ共同宣言」の現場に立ち会っていた因縁にある。歯舞色丹の2島返還を平和条約締結時に実現するとする宣言は、吉田―鳩山の熾烈な派閥抗争の結果もたされた。その後の60年安保で、米軍基地が撤去されない限り返還はあり得ないとソ連の態度が後退する。それに続く細川―エリツインの東京宣言、森とプーチンのイルクーツク声明だが、4島一括に固執する外務省が鈴木宗男や東郷和彦欧州局長を遠ざけたように失点はしない守りだ。どうなるか。
 さて、外交のダイナミズムを現政権に期待するには、はたしてどうかという思いが強い。東京オリンピックもそうだが、目くらましで外交をもてあそんでいるようにしか見えないからだ。
 若宮が北方領土の問題をそもそも引き起こしたのは、戦争終結を無為に引き延ばしたことにあると繰り返し述べている。昭和20年7月15日敗戦ならば、原爆もなかったのである。これは原発にも通じる。

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