色街と聞けばやはり心がざわめく。うかがい知ることのできない裏面がそこに隠されているのではないか。ひそかにうごめく人間の本性を見てみたいという思いでもある。亡き隆慶一郎の「吉原御免状」「かくれさと苦界行」はそんな思いに十分に応えてくれた。網野善彦のいう正史だけではわからない、「道々の輩(ともがら)」といった自由の民が存在したのだというわくわく感も、色街と聞くと記憶の底からむくむくと湧き出してくる。
飛田には一度だけ、紛れ込んだ記憶がある。70年大阪万博の時であった。通天閣からジャンジャン横丁を歩いていたのだが、突然に異様な風景が現れた。昭和の遊郭がそのまま残っているのではないか、そんな思いだった。「さいごの色街 飛田」は井上理津子の体当たりルポである。単行本は11年に筑摩書房から出ていたが、文庫となって昨年暮れに新潮社から出た。2100円から710円となり、読んでみるかとなった。タウン誌にも在籍した井上は「女だから書ける色街」をファイトむき出しに、「しぶとく、すさまじく、ろくでもない」現実に挑んでいる。隆の描く「貴」と対極にある「賎」といっていいが、これも現実である。
井上のHPでは、仕事の依頼も受け付けている。格好をつけない関西女子ということころだが、「そのうちなくなってしまいそうだから、記録しといたら」の友人の勧めにのって、10年余り身銭を切って取材を続けた。話を聞かせてほしいと手製のビラを配り、飛田の女性募集広告に友達を囮(おとり)面接に行かせ、暴力団事務所にひとりで出かけもする。春をひさぐ女性の、女を取り出して、生活にスポットライトをあてていると評する桜木紫乃の指摘は腑に落ちる。男の視点だと性に視点をもって、女にスポットがあたってしまい、これほどのルポにはならない。
飛田のシステムというのは、料亭を持つ大家、女の子、客引きのおばちゃんから成っており、50-40-10の取り分である。大家であるやり手のまゆ美ママは、85年から95年の10年間で13億6000万円の純利益を挙げたと豪語している。徹底したアメとムチで洗脳するのだが、長く勤めさせるのがコツだという。「あのね、お金って、ものすごい力を持ってます。女の子、ちょっとだけこの仕事をやってやめたら、心に深い傷が残ります。けど、1000万円手に持って辞めたら、傷が残らないの」。妙に説得力がある。
60年ころに作家・黒岩重吾が株で失敗し、飛田に近い釜ケ崎のドヤ街に住んでいた。街頭でトランプ占いをして糊口をしのぎつつ、「飛田ホテル」「飛田残月」の短編を書き綴った。また週刊誌に「無軌道売春の街・大阪飛田」とレポート、柳川組を筆頭とする飛田界隈に巣食う暴力団は売春婦50人を擁し、「ひも」「しけ張り」と称して売春婦ひとりに4人の男を養っている、と搾取の構造が赤線時代よりひどいと怒っている。
文庫本あとがきに、飛田で居酒屋おかめを経営していた夫妻が追い出されるように、立山連峰を望む富山県の小さな町に引っ越したとある。そういえば、あの阿部定も戦後の間もない時期に富山の東新地で働いている。
連鎖する貧困に抗うことのできない「女の子」「おばちゃん」たちが他の職業を選択することができず、また新しい層がこの街に流れ込んできている。トビタは無くなることはない。
そして最後に井上が結んでいる。物見で飛田にいってほしくない。なぜなら、そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一生懸命暮らしている町だから、邪魔をしてはいけない。
「さいごの色街 飛田」
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