「日本国内だけで、仕事ができるのなら、それに越したことはないですよ」。小さな借家でデザインとITをコラボレーションさせて、起業してから20年、勝ち組に属する経営者の発言である。50歳に手が届いた。表情には見せない野心が原動力となって、顧客の中心は富山から、東京に移り、いま北京に足がかりを得ようとしている。どんな小さな企業であっても、カントリーリスクは一様に負わねばならない。YKKの海外進出の鉄則である「その国の一流の弁護士、会計事務所と契約せよ」は、とても通用しない。中小企業はトップの才覚で乗り切るしかないのだ。例えば、ドル安が想定される中で、ドル建て契約を、元建てに切り替えるとすれば、どんな事が想定されるのか。為替リスクだけにとどまらない。元を外に持ち出すのには、さまざまな障害がある。中国系銀行カードは、中国国内であれば無制限に使えるが、日本国内で使うとすれば、制限がかかる。もちろん中国人であれば、その制約がない。領収書にしても、政府公認のものでなければ、費用として落とせないなど、まだまだ国際基準には程遠い。グーグルが中国への抗議から市場撤退することに、胸がすく思いだと声援を送っている。
そして、もうひとりの同期の友人だ。食品のトップ企業で、営業を担当していたが、再度の海外勤務を示唆されて、早期退職を選んだ。国内ではもう人材は不要という認識が社内共通になっている。人事部門は海外で通用する人材をどうするか、だけを考えているという。体力の限界とモチベーションの減退からの選択であったが、逃げ切ったという思いだ。10年若ければ選択の余地はなかった。
東南アジアでの勤務では、そこの風土に合う商品開発から、工場立ち上げ、販路開拓、集金までも自ら担当しなければならない。言葉が十分に通じない環境で、無理筋のリベート要求、詐欺、従業員の商品持ち去り、暴力犯罪などなど、緊張の連続である。いわば無法地帯にひとりで放り出されたようなものだ。学歴など、そんなもの紙切れに過ぎない。まず体力、タフな神経、胆力、勘と才覚など、大学を出てきましたというだけでやれるはずがない。商品が既存のルートで、それなりの論理でもって流れていく国内営業が、どれほどありがたいか、身にしみてわかった。海外で傷つき、廃人同様になった人材も、この企業では抱え込んでいる。
しかし、そんな苦労や犠牲も爆発的な売り上げ増で、報われることが多い。戦後日本の歩みの中に多くのヒントがあり、競争が厳しくないことと先行者利益で、ちょっとしたアイデアで売り上げが加速させられる。市場のダイナミズムは国内の比でなく、面白い。もちろん企業も、国内の給与規定にしばられることなく、特別ボーナスを弾んでいる。こんなことを述懐しながら、コーヒーを飲んだ。最近は何が何でも、コミュニケーションは酒だ、ということにならない。
いま、問題意識にあるのは、教育現場から労働現場に移る際の<労働市場>はどうあればいいか、だ。新規学卒一括採用によって大半の若者が、卒業とほぼ同時に安定した正社員に移行するというのは、不可能に近い。こうした厳然とした事実が突きつけられているのに、“就活”と称して旧態依然の全く的外れな対応がなされているのではないかということだ。当面アジアの成長を取り込んでいくしかないといいながら、受け入れる企業の側も、働き手を送り出す教育側もそんな認識に立っていない。大学の4年間は貴重な時間だ。その1年半を就活で無駄にするのは、大きな社会的損失である。解決を急がないといけない。
余談でこんな話にも及んだ。日本人の国際化を大きく阻んでいるのは何か、ということになった。もちろん語学力もあるが、意外にもウォシュレットが元凶で一致した。わが世代もこの軟弱さに侵されていて、海外旅行の必需品としてウェットティッシュを持参する輩が増えているのだ。帰国して、ウォシュレットを使って、ようやく落ち着いたという。就活での最初の質問が、ウォシュレットなしでも大丈夫か、ということになるのだろうか。
労働市場の改革を!
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