「博士が100人いるむら」

 このブログを深夜に書きあげ、翌朝アップしようと思っていた。4月18日の早朝、朝日新聞を手にすると、ブログと同じ内容のものが1面と社会面に載っているではないか。「若手研究者の自死」。近世仏教研究家・西村玲さん、2016年2月2日死去、享年43歳。愕然として、力が抜けてしまった。初出は4月10日の朝日デジタルで、ついつい読み込んでいった。切り口がいくつも見えてきて、格好の題材に思えた。更に偶然というか、取材力に定評のあるノンフィクション作家・最相葉月が「れる・られる」(岩波書店)を読んでいて、30代の分子生物学者の自死を取り上げていた。捨てがたく、二番煎じにならないよう気を付けて書いてみたがどうか。

 05年頃、ネットに作者不詳で登場したのが「博士が100人いるむら」。ひらがなで書かれた恨み節だが、読みにくいので漢字混じりで紹介する。100人の博士の進路は、医師が16人、研究室に残る助手が14人(定職といえないが、前途多難ながら教授への道を進んでいる)、ポスドクが20人(1年契約で最長3~5年雇用の研究者。助手になれない刈り残しの敗残者と自ら蔑んでいる)、会社に就職が8人、公務員が11人、他分野へ1人、16人が無職(どこにも属せず、アルバイトで糊口をしのぎながら研究活動をする)、そして8人が行方不明か死亡という。日本の自殺率は10万人当たり24人程度だが、博士たちは10万人当たり8000人となる。大学院重点化と裏腹に、ポストは減少し、狭き門にひしめき合う。「そのひめたちからいかせずにくさっていく毎日にたえきれずみをかくしたのですから、そっとしておいてくださいね」と締めくくる。

 「家族・子供・安定・伴侶が欲しい。人生をリセットしてやり直したい」と西村玲さんの日記は痛々しい。研究職だけが選択肢ではないし、確かに生活保護も視野にいれるべきかもしれないが、どうも説得力が感じられない。彼女の著書「近世仏教思想の独創=僧侶普寂の思想と実践」(トランスビュー)は定価6500円だがアマゾンでは新刊19800円となっている。その実力を見て、仏典の英訳を点検する仕事を年間200万円で回してくれたベテランがいたそうだが、1年間しか続かなかった。どうもここにヒントがありそうに思える。

 持論でもあるのだが、本人が売り込むのではなく、エージェント的な役割を果たす第3者的な組織や個人が必要。いわば、仕事を創り出す人だ。彼女のキャリアは売り込めたと思う。浄土宗とのかかわりでいえば、知恩院や増上寺だ。コピーライターでもいい。この役割は教授がやればいいという人がいるが、私の知る限り、研究の道しか知らない一本道を歩んできた人ばかりで融通がきかない。その上、このポストは僥倖の末だったくせに実力だったと錯覚しているから、たちが悪い。お前は敗残者だといい出しかねない。ハローワークではなく、そのスキルなりキャリアをプロボノ人材として登録してもらい、マッチイングをしていくNPOがもっと存在感を持つようになればいいと思う。

 最相葉月は「絶つ・絶たれる」という章立てで、ポスドクを挙げているのだが、絶たれるという受動詞に危機感を込めている。この人たちを社会から絶つことは、いずれ私たち自身が「多元的で選択可能な社会」から絶たれることになることでもある。

 将来への不安にあえぐ人文系の大学院生やポスドクたちが、こんな報道を契機に過剰に自分を追い詰めることがないよう祈りたい。とにかく、しぶとく生きることだ。名誉教授とか名乗っている連中は、贖罪の意味で最低ひとりのポスドクを救ってほしい。

 

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