PET。ペットと呼ぶ。といっても犬や猫ではない。アメリカではもうブームという「がん検診」法である。PETとはポジトロン断層撮影の略。ようやく日本でもこの4月から、保険適用となった。7,500点だから7万5千円。診療者側は12万ぐらいを要望していたが、押さえ込まれた。押さえ込まれてもいいのだが、ことの良し悪しがカネだけで決まっていいのか。保険財政の窮迫が、ますます医療の進歩を阻んでいる。これはおかしい!わが批判を聞く前に、そのPET検診はこうだ。
がん細胞は正常な細胞よりも活発に活動する。その分ブドウ糖をたくさん消費する。ブドウ糖に似た性質をもつFDGという放射性医薬品を血液中に入れると、がん細胞にFDGがより多く取り込まれる。これをPET撮像機がキャッチするシステム。4時間絶食したあとに、FDGを静脈注射し、約90分間安静にしている。そして検診台に30分寝ていればOK。ほぼ全身が調べられる。ほぼというのは、FDGが尿から排出されるので腎臓と膀胱だけが判定できない。それでも優れものにかわりはない。CTやMRIだと、映し出された体の部位を、それぞれに注意深く判定していかねばならない。その点PETは、FDGをどれだけ取り込んだかで、数ミリの小さな病変から、悪性か良性、がんの進行ステージまでがわかる。まあ、アナログとデジタルの差だ。3次元の鮮やかな映像が、ディスプレイ上でクルクル廻り、素人でも黒い部分もみることができる。検査結果も即座に。弱点といえば、べらぼうにコストがかかること。ざっと20億円。PET撮像機はたいしたことないが、サイクロトロンといういわば小さな核融合機器と格納施設を作らなければならない。しかも同敷地の院内で作るべしというのが厚生省の指導。これが輸送できるようになると違ってくる。といっても、FDGは放射性核種、こいつの半減期が110分と極めて短い。だからほぼ1時間以内のPET撮像機をもつ病院であれば可能になる。数年のうちには実現するだろうという。しかし、半減期が短いということは安全という利点でもある。このコストに加えて、1台のPET撮像機の1日の処理人数は15人が精いっぱい。採算が極めて難しい。導入しているところは他部門の稼ぎをそこに注ぎ込んでいる。保険適用以前は、自由診療だから何十万円という料金。大橋巨泉もその一人。彼の合理主義と正義感にピタリときて、つまらないがん撲滅運動をやめて、全国で誰でも安く受診できるようにするべきだと主張している。もちろんPETだけで万能ではない、CTやMRIを組み合わせることでより精度が高まり、患者の肉体的な負担は少なくなる。
さて、本論である。抗がん剤の怖さである。がん細胞をたたく前に、正常細胞がやられてしまう。そのひとつが骨髄異型性症候群。血液再生不良となって抵抗力を失い、ついには簡単な肺炎も乗り切れなくなってしまう。PETには治療効果も測定することができる。この抗ガン剤は効いているのかどうか。いつまでも服用する愚を避けたい。まるで効かない抗がん剤で死に至るのは堪らない。
さて、中央医療審議会を想像する。「だいたいこんな高額な検診を保険で認めたら、どうなるんですか」「しかしこれほど患者にとって負担のないものはないし、早期発見は長い目で見れば診療費の節約につながるのでは」「いつもそんな論理でやってきましたが、減ったという話は聞きませんね」「それより、従来の検診がガタ減りして困ります。スピードよりも順序です。償却も済んで、新しい設備投資もできるようになってからでも遅くはないのです」「国民にはあんまり知らせない方がいいのですよ。画期的な新治療といえば猫も杓子も飛びつくような国民性ですからね」
まさか、こんな会話がなされているとは思わないが遅々として進まないことは確実である。先日、中央病院に義兄を見舞った。まったく進歩して無さそうに見える。看護婦の少なさ、疲労した顔でのせかせかした態度、相変わらずの4人部屋。財政の逼迫は病院経営にもどっと圧し掛かってこようとしている。
しかし、エイズとPETの受診を国民の義務とするといわれたら、断固反対せざるを得ない。健康は極めて個人に属するもの。制度として保障することと、強制するのとは大きな違いがある。わかるかな、坂口大臣!
忘れていた、PET検診できるのは全国55箇所。北陸では金沢循環器病院、福井医科大学。