お詫び行脚が続く。とにかく平身低頭してひたすらに「申し訳ありません」を続けるだけの毎日。佐藤工業幹部のTさん。中学高校大学の2年先輩。ぜひ近くに来られたら立ち寄ってください、といっていたら電話があった。意外とさばさばした表情である。笑顔を見せてはいけないし、笑い声も。まして、酒場にいくのも憚られる。ゴルフ道具も封印してある。開口一番がこうであった。
自分たちの世代はいい。次の者たちに何とかこの企業で展望を開いてやりたい。そのためにも今、迷惑をかけた企業に心からお詫びをし、次の段階での協力をお願いしなければならない。40歳代にいい人材がはいっている。何とかしのいでこの人材を残し、いい仕事をし、企業を再生存続させたい。その一念だな。昨日も自分の上のポジションが、管財人から解任を告げられた。もちろん覚悟はしているし、そうしないと債権者の皆さんへ申し訳が立たない。
ところで企業破綻の原因は何ですかね。佐藤工業はもともと土木事業がスタート。これは確かに手堅い仕事だ。着実にやっていれば大もうけはできないが、確実に収益は見込める。しかし、企業というものはそこでじっと立ち止まってはおれない。当然トップならずと総合建設業(ゼネコン)、それもスーパーゼネコンの一角を目指したいと思う。土木と対をなす建設となると途端に競争が厳しくなる。赤字受注も止むを得ない、ということも度々。そこにバブルだ。銀行はどれだけでも金を出すという。そうすると土地だけは先に用意して、あとの開発主体は後回しだ、と狂ったように都心であれ、リゾート地であれ買い漁った。最悪のケースは何と名古屋の繁華街。あのイトマンの伊藤寿永光から、25メートル四方の土地を223億円で買っている。あいつが首尾よく転売に成功というからには、最後のババを掴まされたということだ。加えて、といっていいいのかどうかわからないが、佐藤欣治社長の40年に近い在籍で、倦んでいた組織が何かきっかけがあればとうごめいていたということ。2代目助九郎への本家奉還を嫌っての超長期政権だった。そこに欣治の次男である義剛社長が登場する。早稲田の建築を出、パリ留学を終えてのプリンス。3000億円企業を1兆円企業へのビジョンが語られると、誰をしても止められない奔流になって走り出していた。彼の真意は単なる拡大ではなかった。しかし一端走り出すと、社長本人だって止めようがない。テーマパークだ、リゾートだ、ゴルフ場だ。これに異を唱えるなんて不可能。吹き飛ばされ、踏み潰されてしまう奔流だ。その嵐が過ぎ、収束に向かい、その後始末に忙殺され、いろんな噂が飛び交った。しかし心の内で、ふるさと富山があるのだからやり直せる。他の根無し草ゼネコンとは違うと思い込んでいた。虚しい思いだが仕方がない。金融再編、あるいはブッシュヘの人身御供という説もあるが、どうあれ現実を受け入れるしかない。意外とすっきりした気分だ。
更生法の申請後はすべて管財人の指示に従わなければならない。たとえ1円の出費たりとも。わが管財人は梶谷弁護士。大型破綻が処理できる弁護士十人衆の一人と評される敏腕だ。10人以上のスタッフ弁護士がテキパキと処理していく。31歳東大法学部卒の女性も。娘に指示を仰ぐようなもの。手際は見ていて気持ちのいいほど。こちらの情と、あちらの理が対決し、情が吹き飛ばされていく毎日だ。明日のこと、わが身のことは思わないようにしている。
これが構造改革の現実である。この先に待ち受けるものは?
意外とばら色の幸せではないが、どこにも所属しない、心地のいい暮らしがあるのではないかと思う。持っている者ゆえの不安、持たざるものの開き直った解放感。このパラドックスを小泉に見せつけてやらねばなるまい。さて、明日があるさである。
というわけで「ゆずりは通信」で再開します。せっかち男のスローライフ宣言。とにかくマイペースでやりますので、伴走される方はお付き合いください。