新英和大辞典

高校を卒業してから40年になるという。その記念同窓会の案内が届いた。入学したのは昭和36年、もはや半世紀前だ。そういえば、こんなこともあったかと思い出した。

入学最初の洗礼は、英語の辞書。最初の英語授業で、できればこの辞書を購入してほしいと、教師が手にしたのが研究社「新英和大辞典」。分厚さもあるのだが、定価2,500円。研究社に問い合わせると、版を重ね第6版で、現在の定価18,000円という。当時としてそれほどの値段。高価さに子供心に驚いたのであろう。これをストレートに親にいえなかった。貧しかったともいえないが、何かためらわせるものがあった。10歳年長の姉にそれとなくいうと、「なに遠慮しとるが」と一喝。英語の辞書は、わが机の上に場違いに鎮座することになった。こんな大きな辞書を毎日引くわけにはいかない。かばんに入る小事典で十分に足りるのである。まして最も苦手な科目。おそらくこの辞典を引いたのは3年間で10回を越えていないような気がする。

その初版は1918年(大正7年)。“英語辞典なら研究社”の世評を生むきっかけとなった「武信和英大辞典」にさかのぼる。やはり和英が先なのである。それが改訂を重ねて新和英大辞典となって、国内の英語学習はもとより、英米をはじめ世界の日本語学習にこの辞典ほど利用されたものはない。太平洋戦争末期には、アメリカで海賊版がつくられ、選りすぐったエリートの日本語教育に利用していた。作家の豊田譲がその一冊を手にしている。日本の軍部が英語を敵性言語として追放していた時に、そうなのである。そもそも研究社の創業は1907年(明治40年)で、これからは英語学習が必要との炯眼から。翌年に「初等英語研究」を出している。また単語カードを売り出して大ヒットとなっている。経営センスもなかなかにいいのである。

第6版が刊行されたのが2002年の春。毎日新聞の「今週の本棚」に書評が載った。評者は青山学院大学で英文学をやる洒脱な富山太佳夫。「辞書が出た、出た、辞書が出た、三池炭鉱の上に出たあ。あんまり値段が高いので、さぞや買い手がビビるだろ、さの、よい、よい」と上機嫌で、20年に1回しか新版が出ない、さしずめ辞書の大吟醸、と大はしゃぎである。そして、この辞書は引くにあらず、読むものだ、として風呂上り、寝る前に開いている。そして訳の誤りを見つけ、20年後の改訂の時には、ぜひ訂正してほしいと申し入れている。辞書づくり作業の難しさは想像を絶する。

そして今ひとつ忘れられないのがコカ・コーラ。高校入学して間もなく、初めて口にしたのである。新富山駅前の小島屋で、これがアメリカのかっこいい飲み物かと。すぐに吹き出してしまった。なんだ、これはという感じだ。これが瞬く間に日本中を席巻していった。「コカ・コーラの秘密」はベストセラーになり、マーケティングの格好の教材にまでなっていく。トンボ飲料とか、岡崎飲料とかのラムネ飲料会社が地域から見えなくなってしまうことになろうとは想像さえ出来なかった。この時の衝撃的なコークの出会いも忘れられない。

新天地での新しい文化の洗礼、英語の辞書もコークも身につくことはなかった。半世紀を経て、ほろ苦さとともによみがえってくる。

さて、こんなセンチメンタルに浸っているわけにはいかない。老犬コロが散歩の催促をしている。そして、経済学者クルーグマンがニューヨークタイムスに連載したコラム集の邦訳「嘘つき大統領のデタラメ経済」も読まなければならない。なに、辞書を片手に原書で読んだらどうだって。嫌なことをいうねえ。

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