「なぜ、死ぬか」

99歳の母は8月に誤嚥性肺炎で入院して以来、嚥下が覚束なくなっていた。ところがここにきて、一挙にレベルが落ちてしまった。10月28日に濃い味のジュースをゼリー化して飲ませたが、のご奥でゼロゼロさせた後にむせてしまい、それ以来経口では無理と判断した。ほぼ20日間、飲まず喰わずの状態である。08年以来砺波市庄川町の老人保健施設でお世話になっているのだが、看取りまでを視野に細やかなケアをしてもらっている。頻繁な吸痰、念入りな口腔内ケアなどだが、感謝の言葉もない。
 終末期の意思決定なるものは一応頭に入っているのだが、母という現実を目の前にして肉親の情愛との葛藤にさらされている。本人が苦しんでいないかどうか、嫌がることをやっていないかを医師と相談しながら、見極めなければならない。現在は最小限の点滴を受けて、母の反応を探る日々である。「おかあさん」という声掛けに眼の表情が動き、ちょっと口を動かそうとする素振りなどに、こちらは笑顔で応え、本人はまだうれしく思っているのだと察知する。ところが、のどの渇きに一瞬でもいいから潤いを与えてやりたいと思う衝動に駆られるのだ。それが本人にとんでもない苦痛をもたらすことをつい忘れがちになる。終末期には余分な水分や栄養を投与しない方が苦痛はない。早晩「自然にゆだねる」という判断が迫られる。
 さて、こうした誤嚥防止に活躍が期待される職業に言語聴覚士がある。以下は昨年9月にものがたり在宅塾に招いた竹内満・言語聴覚士の話からの引用である。
言語聴覚士は国家資格になって歴史は浅いが、理学療法士、作業療法士とともに患者のリハビリに対応する。失語症や構音障害、言語発達障害、吃音、聴覚障害などのほか、近年では嚥下障害への対応も多くなっている。 
 人間はのどという同じ場所を使って、しゃべり、呼吸をし、食べている。普段は息をするため肺につながる気道が開き、食道は閉じている。飲み込む時の一瞬だけ食道が開くのである。だから逆立ちしていても飲み込める。ほかの動物にはないすごい仕組みなのだ。しかしこの複雑で絶妙な動きゆえに、ちょっとしたことでバランスをくずして食べ物などが誤って気道に入っていく。また、むせるのはヒトだけで、ほかの動物はむせない。当然、年をとれば飲み込みにくくなり、むせやすくなるのだ。
 人間というのは、食べ物と水、そして空気の存在なしには生きることができない。外から栄養物を取り入れて、身体を動かすエネルギーを体内でつくりだしたり、自分の身体を構成する材料にしたりする一連の化学反応、つまり代謝を行うことが生命維持に不可欠なのだ。この内と外をつなぐのが、のどということになる。言語聴覚士の存在がもっと評価されていい。
 何となくすっきりしない気分の中で、目に入ったのが書棚にある「なぜ、死ぬか」(同文書院)。93年の刊行だから20年前の本である。日本の分子生物学の草分けである亡き渡辺格(いたる)慶応大学名誉教授が書いている。なぜ、死ぬか・それは宇宙が死に向かっているからだ。銀河も星も惑星も、すべてが死に向かう中に、人間の営みも、文明もある。生命も文明も新しい秩序であるが、それは熱力学の第2法則が説明するように、ほかのエネルギーを奪ってこそ可能なのであって、あくまでも全宇宙は死に向かっていることが前提となる。人間の営みだけが死を免れる、そんなことはありえない。エントロピーが増大し、ますます世界が多分散化し、やがて終末を迎えるのは防ぎようがないことである。
 そうなのだ。こんな簡明な科学の常識を、無常観をアベソーリに持ち合わせてほしいのだが、やはり無理な注文であろうか。

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