茅ヶ崎駅前の喫茶店「セゾン」。昨年末から茅ヶ崎には縁があるなと思いつつ、約束の7分前にドアを開ける。そういえば海軍は5分前だからその前で正解だな、と妙なことが思い浮かぶ。待ち合わせの人には3ヶ月だけ海軍経験がある。10人が入れるかなと思えるビル2階の小さな店であった。確か指定は2月21日正午。手帳で何度も確認する。10分過ぎるも待ち人来たらず。切り盛りの上手そうな女主人にさりげなく聞いてみる。「城山さんと待ち合わせをしているんですが」「先生はいつも私どもの店をお使いになります。席も入り口のあの席です。電話されてみてはどうでしょう」。
「やあ、申し訳ありません。娘が子どもの受験で上京したりして、スケジュール管理が行き届かず、つい失念してしまっておりました。すぐに出かけます」。数分で現れたのが直木賞作家・城山三郎さん。
わが書架の特等席にその著書20冊近く並んでいる。男の生き方、ビジネスマンの身の処し方など30から40歳にかけての血気盛んな頃によく読ませてもらった。「役員室午後3時」では伊藤淳二をモデルに描く。鐘紡の組合委員長から社長になり、繊維から化粧品、医薬品と多角化に成功した。その名声をもって瀬島龍三の推挙で日本航空の建て直しに副会長で参画。組合対策では融和策を取り、小倉寛太郎(サバンナの頬をなでていく風のなかで参照)をアフリカ勤務から帰している。そのことに端を発して、中曽根政権官邸派と対立、解任された。毀誉褒貶定まらぬ人物も果敢に描く。「辛酸」では足尾鉱毒で捨て身の抵抗をした田中正造を、「粗にして野だが卑ではない」では国鉄総裁・石田禮助を、「落日燃ゆ」では文人ながら一切自己弁護せず処刑されたA級戦犯・広田弘毅を。そうした中で一番好きなのが「ねずみ鼠」。戦前三井三菱に並ぶまでに飛躍させた新興商社鈴木商店率いる金子直吉を描いたもの。「まっしぐらに前進じゃ」が口癖。通信交通費とケチることなく、情報の大切さをその当時から身に付けていた。既成の権威に挑み、それらを凌ぐかに見えた時に関東大震災で傾き、そして破れた。しかし直ちにその現実を受け入れ、逃げることはなかった。
城山作品の底流に流れるのは、シャイながらある種の美学を追求する男たち。
さて喫茶店での続きである。「富山から講演の依頼と聞き、まるで亡妻から声をかけられた思いです。亡妻の生母はハルピンで死亡し、後添えの方の縁で水橋町に疎開していました。滑川高女に2年前後在籍していたことを亡妻も懐かしがり、洋装の派手さをよく冷やかされたと申していました。やはり有縁ということでしょう」。滑川市立博物館の永井さんの手を煩わせて、奥さんに連なる系図を作成してもらった。それを手にしながら感慨無量の様子だ。話し振りも素振りも自然体で、気取らず、しかも個人情報保護法案に反撃する硬骨を持ち合わせている人格がにじみ出ている。小泉首相に談判した城山さんの表情は、この痩躯をあいくち匕首にして首相の臓腑を抉ったに相違ない。「城山さんみたいな理性派が反対論をいうと国民が信用してしまう。おそらく呆けているからいったんだろう」これが自民党議員の反応だ。いつの時代も知識層の役割は大きい。これが権力に擦り寄ったり、暴力に臆したりすることから、権力の暴走が始まる。
別れ際に1階の長谷川書店に誘われる。「自著で恐縮だが、サインをしてお渡ししたい」「いえカバンの中にもっておりますので、それにお願いします」。サインをもらったのが最新刊「この命、何をあくせく」。申し訳ないことだが、作家にもペンに勢いのある時とない時がある。
先に挙げた小説は城山さんの30台後半からのもの。その精気が作品に乗り移っている。エッセイとなるとちょっと物足りなく思う。書き手と読み手の出会いの妙である。
「何をあくせく」では男の人生はやはりいい尽くせない。「本田宗一郎との100時間」で本田の生き方にもっとも共鳴しているように見える。これだけ仕事に執着したのだから、金には執着しない。2代目が河島、3代目が久米社長、これが本田に最も楯ついた。楯つくということは、まず第一に人のいうことでは仕事をしないよという自分の個性を持っている。第2としては論理が違うということ。もうひとつは世代が違うということ。だから選んだという。この驚くばかりの屈託のなさに、凄さと清清しさを見る。
一回限りの人生、屈託なく生きてみろ、ということだ。