あらかじめ失われた世代であるといい、ぼやきとも、居直りともつかないしゃべくり本に出合った。「黒山もこもこ、抜けたら荒野」~デフレ世代の憂鬱と希望~(光文社新書)。書いているのは水無田気流、「みなした・きりう」と呼ぶ。70年生まれの女性で、詩人であり、社会学者でもある。詩集「音速平和」で、第2回中原中也賞を受賞している。私憤が浅間・烏帽子火山群のように噴火していると、著者はいうがその通り。よく聞くと公憤である。
どうも夫婦そろって、ポスドクらしい。ポスドクというのは、ポストドクターフェローの略で、博士号取得後の任期付きの職をいう。水無田も東京工業大学世界文明センターのフェローというが、いわばポスドクだ。これが不安定きわまりない。任期付きということは、数年で失職するということ。文科省が後のことも考えずにポスドク1万人計画などで増員し、自殺者を出すまでに就職難が深刻になっている。
彼女は就職超氷河期の一期生。40社で次々とふるい落とされた。入口の教育は高度成長期のもので、地道にものを作りあげる美徳を教え込まれたが、出口では乗っていたベルトコンベアが急減速していた。93年、それでもようやく就職が決まる。お茶を汲みつつ営業修業の一般職で、山ほどの業務をこなしたが、残業代ゼロの額面12から14万円、昇給もほとんど見込めなかった。1年で辞めて、大学院へ。ここでも悲惨は続く。研究活動を続けつつ、アルバイトを掛け持ち、無署名・印税なしの原稿を書いたりして研究費や生活費を稼ぐ日々。といっても、どの仕事も、どの論文も、どの研究報告も、どこで就職に結びつくかわからないから、1ミリたりとも手を抜かない。それでも、彼女は昨年出産した。「来年自分は生きているのだろうか?」との思いが、「この子を育て上げるまでは生き延びねばならない」にギアが入れ替わった。そんな生活ゆえに、世の不公平、不条理がやたら目に付いてしまうらしい。
社会哲学研究で同業の夫をはじめ、大学院の研究室には優秀な同僚たちがひしめく。その多くが優れた成果を発表しながらも、専任の職に恵まれない。海外流出も多い。国際競争力といいながら、こうした頭脳が活かされていないのだ。「知識集約型高齢フリーター」と自認しているが、フリーターを続けるには、正社員の何倍、何十倍も気合いがいる。「風邪を引いても悪化するのを気合いで寸止めする」。とにかく絶対に倒れられない。今の仕事を確実にこなさなければ、来月には食い詰めるからである。大学予算の削減、科研費のカットが響き、若手研究者はどんどん非常勤、任期制にすげ替えられている。
彼女の父親にも触れておこう。38年生まれで、地方国立大を出て、大手企業のサラリーマンで管理職を勤め上げた。ぜいたくは敵、消費は悪、借金は罪悪とする超堅実派。日経と「プレジデント」を定期購読し、書斎には「経済白書」や「ジュリスト」が並び、文学書などを見ることはなかった。中原中也賞の知らせに、「誰だそれは?」と聞き返した。文化資本、いわば教養の蓄積度合いの乏しさに嘆いてみせるが、それでも詩人が生まれるのだといいたいらしい。
ちなみに「黒山もこもこ」は、彼女の世代の人の多さに由来する。学校はすし詰めで、常に押し合い、へし合い状況。上野動物園にはじめてパンダがやってきて見に行った時、開園直後のディズニーランドへ行った時、いつも壮絶なる人ごみ、黒山もこもこであった。
さて、ポスドクの現状をどうみるかだ。大学含む研究機関もそうだが、医療崩壊も然りで、マネジメント機能が働かない。一人ひとり見れば、優秀で頑張っているのだが、どう動かすかとするグランドデザインが思い浮かばず、ついつい小さなところ、自分だけの立身出世に眼が行ってしまう。戦争を敗戦に追い込んだ「失敗の本質」がいまだに続くのである。逆行するが、大学教員の定年を、65歳から60歳に引き下げて、若い頭脳への新陳代謝を急ぐのも一手である。
黒山もこもこ
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