「国体論」

 今上天皇の生前退位発言から説き起こしている。これは16年8月8日のことだが、政治学者・白井聡の論理は明快で、どうするのだと突きつけてくる。アベ政権が選んだ日本会議系の有識者はこの生前退位に反論した。「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」といって、被災地や戦跡などの訪問は必要なく、宮中祭祀を体力の範囲でやっていただければ、それで十分。それが不可能ならば摂政という代役も可能であり、国民の誰も異を唱えることはないでしょうというもの。これを聞いた今上天皇はこの進言を断固拒否した。象徴としての役割は、ただ単に天皇が生きていればいいというものではない。全身全霊をもって国民の平安を祈り、災害に傷ついた人々や社会的弱者を励ますために東奔西走しなければならない職務であり、摂政でもって代行しうるものではない。真剣に象徴とは何かを考え続けてきたのだ、と。白井はここから戦後民主主義が矛盾を抱えきれなくなって破綻していると考察する。

 「国体論」(集英社新書)は「菊と星条旗」という副題もあって、天皇崇拝と対米従属の國體に見立てて論を進める。ここはやはり旧字で書く。國體とは国を統べるもの。明治維新を始発点とする國體は万世一系の天皇を頂点に戴き、その理念を全国民に強制し、政治の次元を超えた超越者として君臨してきた。それが昭和の時代に行き詰まり、第2次大戦での敗北で崩壊した。その間77年であり、戦後もその同じ長さを経ようとしている。

 白井の大胆な仮説は、戦後も同じような國體観が日米関係の中で再構築されたという。戦後日本の対米従属の起源はサンフランシスコ講和条約と同時に結ばれた日米安保条約。その過程で昭和天皇が沖縄の長期占領状態を米側に依頼したとされる「天皇メッセージ」だ。47年のことである。その背景にある共産革命に対する恐怖は、東西冷戦さ中で、独立後も引き続き軍事力の大規模駐留を望む米国の思惑と一致した。ダレスのいう「我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を米国に与えることによって、戦後の國體としての永続敗戦状態が生まれた。どんなに政権が変わろうと、対米従属だけは変わらない日本を統べる國體である。ダレスは日本人の心理をこう分析している。日本人の欧米人に対するコンプレックスと、アジア諸民族に対するレイシズム、優越意識をうまく利用することだ。日本人はアメリカに従属する一方で、アジアで孤立し続けるだろう。そうして行き着いた先が、日米安保体制が締結時に意図した対ソ防衛の目的が終わっても続く。次なる目標は全地球的な米軍展開を支える体制で、従属はより強化された。9条を持つ平和国家が世界最強米軍の最大の協力国になるという矛盾だが、奇妙に共存させてきたのである。首相がトランプと100%共にあるということは、「アメリカ帝国の忠良なる臣民」として弾除けとなる運命を甘受しますといっているに等しい。アベ政権は当然この脈絡の上にある。政権の延命を支えているのは、この矛盾をあいまいにし、そうと知りつつも受け入れている惨めで無気力な層が存在するからだと手厳しい。憲法の上に日米安保があるとする戦後の國體がもう限界にきているのは、国会の惨状が映し出している。

 そして、白井は鋭く問う。この惨状から脱するきっかけとなるのが、この天皇発言ではないか。天皇の祈りは無用だと切って捨て、アメリカを事実上の天皇と仰ぐ國體でいいのか。民衆の力で市民革命を実現した経験を持っていない。つまり共和国ですらないという事実。我々はこの問いに答えなければならない。

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