初めて理解した「奇跡の人」

「見えない、聞こえない、話せない三重苦の彼女に必要なのは言葉なのよ。言葉が彼女の世界を広げるのよ」家庭教師サリバン演じる大竹しのぶの台詞が新鮮に響いた。

澁谷シアターコクーンで「奇跡の人」を見る。ご存知へレンケラー物語。必死に言葉を、物には名前があることを教え込もうとするサリバン。指の感覚だけが頼り。スペルを指に書き込み、指の形でスペルを覚えさせる。取っ組み合い、殴り合い、抱きしめ合う日々。「100万回繰り返すのよ、そのあとの1回でわかってくれるかもしれない。ただ続けるだけ、そして信じつづけるだけ」若きサリバンの気迫。一方、家族は憐れみ、そして甘やかしの方向へ傾く。食卓で皆の皿から、手掴みにして口に物を入れるケラー。それを放任し、障害を持っているからしようがない、これが愛情なのだ、と。確かにその方が楽だ。しかしそれを続けていれば、彼女の一生はペットの犬や猫と違わないようなものだったろう。

そんな家族とたたかうサリバン。ヘレンケラー5歳、サリバン20歳の時。結末はあの感動のWATER(水)で終わるのだが、今更ながら考えさせられた。そして何とあいまいな記憶で、「奇跡の人」を理解していたことか。これに限らないのだが、いつも皮相な思い込みで分かった振りする自分が恥ずかしかった。

観客は20代の女性が大半。大竹しのぶ、菅野美穂のキャストが受けているのかチケットは完売という。渋谷の街ですれ違うガングロなるメイクと厚底靴の女性たち。そして携帯電話であたりはばからず撒き散らす言語。健常者なるものの「言語の貧しさ」を思わずにおれない。ウオーターの一言の重みをありがたい、とおもわなくっちゃ。

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