安倍政権の暴走は、1960年式の素朴な発想を受け継ぐトリクルダウン式の経済成長戦略なるものが失敗し、経済的な破綻が明らかになってはじめて、ストップするだろう。それまで日本社会が自ら、方向を理性的に転換することは期待できない。
文芸評論家・加藤典洋の見立てである。これだけお粗末な首相をトップに置いたことは、戦後かってなかった、という気がするが、どこがどうお粗末なのかと、そのお粗末さ加減を取り出そうとすると、何よりもそれを支えている選挙民、日本社会、つまり私たち自身のお粗末さへと、目は向かうことになる、と続く。特定秘密保護法でも、集団的自衛権でも、沖縄辺野古移設問題でも個別の世論調査では反対が賛成を上回るが、内閣支持率は常に不支持率を上回る。これが安倍の背中を押すことになっている。もし一度でも、この暴走の途上で、安倍の不支持率が支持率を上回っていたら、事情は大違いであったはずだ。自民党の内部からも、野党からも、メディアからも、安倍をこのまま放置してはまずいと一気に逆風となっていたろう。
というわけで、経済破綻を待つしかないという諦めとなっているのだが、その破綻は1000兆円を超える国家の借金の重荷のもとで、どれほどの悲惨をもたらすか、誰にもいえない。恐らく1997年にアジア通貨暴落で韓国が陥った国家破綻の危機か、それ以上のものといって間違いない。その時、韓国は国際通貨基金(IMF)に救済を求めたが、その見返りのIMF管理体制は過酷を極めるものだった。IMFによる占領体制となって、昭和20年の敗戦と同じ苦渋を呑むことになる。日本の敗戦は繰り返される。
加藤典洋は48年に山形で生まれているので、ほぼ老人と同世代といっていい。早稲田大学国際教養学部教授に就任する際に、英語ができないからと学生と一緒になってアメリカで英語の猛特訓を受けた。そんな微笑ましさも親近感となっているのだが、その加藤が、いま立ちあがるべきだと提言する。
「憲法を選び直す」と護憲派からの改憲論である。「憲法9条」が「米軍基地の存在」つまり「対米従属」と一体になっている現状を変えるため、米国による安全保障に変えて国連中心主義の立場を明らかにし、「日本は最低限の防衛力をもつこと」を書き込むと共に「今後、国内に外国軍基地をおかない」を明記し、対米従属からの脱却を図ろうというのである。東アジア圏での信頼回復と本格的な友好関係の確立、そして対米従属を脱した日米関係の再構築だが、これはわれら団塊世代に共通する政治認識でもある。憲法9条を現状がさらに悪くならないための砦と考えているだけでは、それを生かせないのではないか。それによってさらに理想に近づこうと考えるとき、はじめて憲法9条の現在の姿が「課題」として見えてくる。もう一度政権交代に打って出ようという檄でもある。
辺野古移設をもし認めて恒久的な米軍基地となるならば、恐らく今後70年変わることのない対米従属とアジアの孤児を続けることになる。これから3世代、140年、米軍基地と原発が存在する、変わらない、変われない不甲斐ない国家ということになるのは間違いないだろう。
5月2日、サンシップとやまで開催された浜矩子・同志社大学大学院教授の講演を聞きに出かけた。人間を幸せにしてこその経済活動、矩を超えないバランス感覚、そして耳傾ける、涙する眼、差し伸べる手、この3つを忘れないでほしい。アベノミクスは幻想に過ぎない。アホノミクスと切って捨てた。
参照/雑誌「myb]新装第1号 加藤典洋「戦後の起源へ 今私が考えていること」
憲法を選び直す