きっかけは77歳の女性からだった。スマホを買ったが操作がよくわからない。教室も開かれているがついていけない。家庭教師してくれる人がいないかしら、というもの。紹介したのは43歳の心の病気を持っている男性で、福祉施設のフリー勤務で映像などの記録係をしていて、時間にゆとりがある。交通費込みの3000円という条件でスタートさせることができた。女性はお茶の用意をして待っていて、朝からそわそわして非日常的な気分が心地よく、教え方もやさしいし、他人を気にせず初歩的なことも聞けてありがたいという。男性は思いがけない収入で、1時間程度の拘束は精神的にもすごい楽でいい、という評価だ。
そして、3月24日立山町の集まりは、就職氷河期世代からの報告を聞いての討論であった。報告したのは関西の大学を出た35歳男性。大手スーパーに就職したが、4泊5日の新人合宿研修が抑圧的なもので、髪を切らされた。配属された職場でも、いじめのような指導に耐え切れなくなり、7月に退職した。その後は病院の深夜電話当番、塾講師アルバイトを1日2コマこなして時給1800円の4時間分で7600円などをこなしながら、実家で何とかしのいでいる。果たして今後どんな展望があるのか、と問いかけた。
これに対して75歳前後の参加者からは、この報告は特殊ではなく、実はわが家の子供たちも似たような状況という嘆きが期せずして吐露された。郵便局でのアルバイト、音楽、ゲームのフリーランスだが、コロナもあり、路頭に迷う寸前の生活を余儀なくされているなどなど。どんな活路があるのか、まで話が進まない。
悔し紛れに思い付いたのが、静岡県清水市の清見潟市民大学塾からのヒント。ここの合言葉は「とことん学んで、ちょっと臥せって、あっさり死ぬ」。そしてその運営は徹底した合理主義で、ヒトをまわし、カネをまわすという実践主義。例えば講師になって講師謝礼を受け取ることもできるし、これを学びたいと生徒になることもできる。ちょっとした専門的な知恵の物々交換でもあり、自分レンタルでもある。ここがみそで、講師の評価は公表され、市場の評価を受けなければならない。これを今悩んでいる団塊世代と就職氷河期世代で、できないかという発想である。
仮に、「家庭教師マッチング市民塾」としよう。年会費1000円、これはネット運営費にあてる。入会に際して、教えてほしい項目、教えられる項目を挙げる。例えば、スマホ操作、数学の微分積分、ギター演奏などと記入する。お互いネット上で、マッチングを行う。時間はほぼ1時間で交通費込みの3000円。その場で支払う。場所は自宅でもいいし、喫茶店でもいい。必ず感想、評価をネット上に書き込む。年間10回利用を目標とし、ひとり収支3万円以上をめざす。取り敢えず30人程度でスタートさせて、100人以上の参加で軌道に乗ったとしたい。こんなつながりが意外に生きる勇気を与えるかもしれない。
ようやくの思いで書き連ねてきたが、心の中では憤怒が渦巻いている。政府のコロナ対策の稚拙さ、奢りであり、それでもオリンピック開催に突き進んでいることだ。まるで本土決戦を叫んで、打ちてしやまんとした戦前と変わらない。デジタル庁だ、こども庁だと、国民を愚弄するような思い付き政策で、変わろうはずがない。3000円で食いつなごうとしているこの現実を見てほしい。
ミャンマーも心が痛む。シリアの二の舞にしてはならない。銘記しなければならないのは、軍隊は自国民に銃を向けるということ。天安門、光州事件が想起される。この無力感を無力感で終らせてはならない。