アベノミクスなるものが独り歩きし、満を持して登場した安倍政権の面々はしてやったりの高揚感に包まれているようだ。経済専門誌なども、見出しを躍らせて後押ししている。果たして、グローバルにうねるように展開する国際金融が、一国の小さな円安誘導政策でコントロールできるものだろうか。そんな素朴な疑問に斉藤誠・一橋大学院教授は応えてくれた。朝日新聞2月27日朝刊でのインタビュー「経済学は無力か」だが、真摯で謙虚な経済学徒の勇気ある発言である。
首相が指導を仰ぐ浜田宏一・エール大学名誉教授で、内閣官房参与のこんな発言を挙げ、信頼できない学識と指摘する。半導体企業エルピーダがつぶれたのは日銀のせいだ、とした浜田参与の発言で、つぶれたのは企業の経営戦略や日本の半導体政策が間違っていただけで、日銀は全然関係がない。世の中の人が「そうか、日銀があんな大会社もつぶしたんだ」ということになる。経済学者にあるまじき認識と断罪している。(老人にとって小気味いいので、ちょっと過剰反応かもしれないが、許されよ)。権力を恐れない覚悟のうえの批判であり、尊敬に値する。この記事を巡って官邸内の面々は絶対に許せないと騒いでいることは間違いない。いわずもがなだが、相互批判と公開性こそ民主主義の根幹である。批判者やちょっと敵対する者に対して、どこまで寛容になれるかが、権力を持つ者の度量である。どんな組織でも、リーダーを見定める大きな尺度であることは間違いない。
さて、熱狂寸前の時はやはり、なだいなだ・老人党総裁に登場願わなければならない。とにかく冷静に、陳腐な論理で動いていることを見抜くことが先決だろう。
「賢い国」というスローガンだ。ともかく、日本を「強い国」ではなく「賢い国」にしようと呼びかける。施政方針演説での首相発言「今こそ世界一を目指していこう」には驚いたが、賢い国論で対抗していかざるを得ないと確信できた。強い国という発想が生まれてくるのは、少し想像力を働かせれば分かることだが、国民が時代遅れの大国意識を持っている場合に限る。強い国を主張する人たちは、たいてい自分が強くなれない人たちだ。自分に対する不満を国に転嫁する。だから国に強くなってもらおうと思うのだ。強い国には、お金で最新鋭の武器をかき集めればなれる。政権をとれば、福祉費を削り、すぐに防衛費を増やそうとする。その反対はありえない。そして、どうあっても成長路線に戻すという。一家の家計をやりくりしている一般家庭は、まず何としても収入を増やそうとしますかね。賢い主婦は、収入は変わらない世の中だから、何とか、賢いお金の使い方をしようと考える。そこが腕の見せ所です。政治家の常識がいかに、生活者の常識とかけ離れていることか。賢い国は、自分たちの住む地球環境を破壊してまで、成長を望みません。原子力発電は安いエネルギーだなどという嘘にだまされない。反対が多くて、最終処分場も決められないので、その分の経費は抜きにして計算して、安い安いといっているのです。安いエネルギーなんていう財界人がいたら、賢い人たちは、そう反論しましょう。
こういう風に、何が人間にとって賢い選択なのか、考えるのが賢い国です。 日本のことだけを利己主義的に考えるのではなく、他人を思いやることが、結局、日本を救うことになります。「強い国」というスローガンに対抗できるスローガンは「賢い国」しかないですよ。
こんな具合だがどうだろうか。「三宅坂」と呼ばれた社民党本部が取り壊される。この政党の盛衰を思う時、政策は正しくとも、その伝え方が上から目線だったり、正義面が前面に出てしまうと、何となく胡散臭くなってしまう。ここは学習効果ではないが、賢さをちょっと愚かしさに包んで話しかけてはどうだろうか。「強い国のバカ利口」に対して、「賢い国の利口バカ」という構図にしていきたい。
賢い国
-
-
-
-
B! -