「自分史の書き方」

 見当識というキーワードが提示され、納得がいった。NHKスペシャル(22年4月30日)は立花隆「最後の旅」と銘打っていた。偶然というべきか彼の著書「自分史の書き方」(講談社学術文庫)を読んでいる最中で、思わず見入った。猫ビルの10万冊ともいわれる書斎の机に遺骨が置かれて、周りの書棚は空っぽだった。書店で7万余円の代金に、ちょっと買い過ぎかという思いを振り切るしぐさがよかった。興味の赴くままに本であれ、旅であれ、自分で分け入っていく。その興味は立ち食い蕎麦であり、牛丼であったりもする。つまり立花は自分を遊ばせるように、興味そのものを自分の内にあるDNAや、欲望、記憶にゆだねているように見える。見当識とは、自分という存在の持つ時間、場所、人間関係を、長い人類の進化の連続の結果として受け入れるということ。そういえば、番組の中でも出てきた筑紫哲也にもいえる。ふらりと日田や魚津の市民大学にあらわれ、時にそこにいるメンバーと徹夜麻雀に興じる。他に大事なことがあるだろうと思うが、そこは必然として割り切っている。自分というものを、どこから来て,どこへ行くのかという人類のひとりであり、死をも客観化する見当識なる知を獲得しているのだろう。ふたりとも癌であったが、癌である自分をも、興味の対象としていた。

 さて「自分史の書き方」だが、08年に開講した立教セカンドステージ大学で行った講義を元にしている。50歳以上で定員100人、受験料1万円での書類選考と面接、入学時に登録料10万円+授業料30万円。応募の多くがゆとりの団塊の世代である。自分史を書く意味だが、自分の存在確認のためであるが、次には家族あるいは子孫のためだ。誰でも家族との人間関係においては、濃いように見えて意外に薄い側面がある。特に子供時代や青年時代については、ほとんど知らないはずであり、面と向かっては話し難く、自分史でさりげなくが最適となる。

 読み進むと、同世代だけに実に興味深い。48年生まれNの自分史に共感したので紹介したい。自分史年表は「能力の財産」と「人脈の財産」に分類。能力が人脈によって、大きなバネとなった体験に根差している。早稲田大学教育学部で将棋部に属するが、30職種以上のアルバイトを課して実践した。授業料を稼ぐことと社会を知ることだが、卒業後外国暮らしも視野に入れていた。ヒッピー旅行から帰国して、毎日新聞主催のゴヤ展でのアルバイトが転機となっていく。ゴヤ展は実質「英文毎日」の担当で、そこのE営業部長との出会いが人脈のスタート。アルバイトながら、グッズの販売を倍増させるなどして、毎日の社員になれといわれる。英字誌「毎日ウィークリー」の創刊、学生ESSディベートを企画開催。毎日コミュニケーションに移り、週刊将棋を創刊、その後PCやゲーム雑誌を創刊する。そして50歳の時、毎コミを辞めて、ファイナンシャルプランナーに転じて独立する。「人生は思いがけない場面で、思いがけない人との出会いによって人生の8割までが決定される」。能力と人脈を駆使して、人生をデザインし、デザインされていく。その典型ともいえる自分史だ。毎コミがリクルートに対抗できたエネルギーの源泉が、こんなEやNだったのだと理解した。

 立花は強調する。現代史の中に自分の人生を重ねる。「はしがき」「あとがき」が大事で、はしがきをあとがきの後に書いてもよい。シニア世代になったら、誰もが一度は自分史に挑戦すべきとも。

 いま、この自分史を手紙のように綴れないものか。しかも、ビジネスとして考えている。次回に発表したい。

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