「石垣りん」

 富山県立図書館には月に2~3回は立ち寄る。毎週、新湊の施設に入っている姉を見舞う道すがらなので、息抜きにもなっている。4月16日午後、陽気もよかったので、ふらりと入った。いつも詩集コーナーから回ることにしている。詩集は立ち読みに都合がいい。装丁も割と凝ったものが多く、短いフレーズなので、すぐに呑み込める。大判の「別冊太陽」がすぐに飛び込んできた。「石垣りん」。3月26日発行のほやほやの新刊だ。茨木のり子の親友、日本興業銀行に40年勤務し、家族をひとりで支えた、そんな生活実感が詠み込まれている。日本興業銀行といえば、高校同期の女子が富山支店に採用され、冬のボーナスが父親を超えたとその高給ぶりが話題になった。これがわが石垣りん像である。これは借り出せないのでは、と思ったので、職員に問うてみると借り出せるとのこと。定価は2500円。買うには、かなりハードルが高く、ラッキーと思った。

 「別冊太陽」は詩集ではない。石垣りんを語り尽くさなければならない。平凡社手練れの編集人が切り分けていく。アルバムを紐解く、といった方がよいかもしれない。1920年に東京・赤坂に生まれ、4歳にして母が亡くなる。高等小学校を15歳で卒業すると、興銀に事務見習いで就職する。初任給18円昼食支給という好条件。一方でエリート集団だけに、差別が酷い。その我慢に加えて「半身不随の父が/四度目の妻に甘えてくらす/このやりきれない家/職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家」。その借家の屋根の下で、両親は「私が渡す乏しい金額のなかから/自分たちの生涯の安定について計りあっている」。石垣りんは「この、愛というもののいやらしさ」と書く。赤裸々な血縁のしがらみに耐え、家を出たいと思いながら、結婚しないまま、実家に住み続けた。そうした忍耐がみごとな詩となって結実させたのが第1詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」だ。満39歳の時だった。

 詩人にとって版元の存在は大きい。この詩集は書肆ユリイカだが、茨木のり子が紹介したのは、童話屋の田中和雄で、「表札」などは後世に残るといって仲を取り持った。童話屋のポケット詩集は特筆されていい。誕生祝、入学祝に恰好のもので、詩集の普及にどれほど貢献しているか計り知れない。

 晩年まで付き合った朝日新聞記者の木瀬公二夫婦の存在も大きい。1DKに足の踏み場もなく散らかったもの片づけ、看取りまで付き添ったのは木瀬夫人である。

 行きつけの店として、天ぷら新宿つな八、とんかつとんき目黒本店と挙げられると、とりわけ親近感が湧く。意外な健啖家でもある。

 最後の火葬場でのことである。入口の「石垣りん殿」と大書されていた。「表札」では「やがて焼き場の鑵(かま)にはいると、とじた扉の上に石垣りん殿と札が下がるだろう。そのとき私がこばめるか?様も殿も付いてはいけない」。木瀬はセロハンテープで「殿」を隠した。

 

 注。さて、未練がましい筆者は恥も外聞もなく「ゆずりは通信」を再開します。無視されるも全く気にはしません。

 

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