年末恒例のもちつきである。いつも晴れ上がる。きょうも雪の立山が神々しい。正月を迎えるに欠かすことの出来ない行事だ。といっても自分ではなんの用意もしない。兼業ながら意欲的に農業に取り組んでいる家に押しかける。ここに引っ越して来てから毎年。もちつき場は物置の倉庫だったり、車庫だったり。わいわいがやがやと人が集まる。杵と臼取りの人の取り合わせや、タイミングのずれに声が飛び、笑いがはじける。何とも温かな空気が漂う。一番下の息子が、確か1歳の時が最初。その子が高校3年生だから17年続いている。この年月だ、集まる人も様変わりした。年々歳々人同じからずである。7年前までは、この家のおじいさんの存在がなんともよかった。急ごしらえのかまどの前で、小さな背中をひょいと動かしながら、黙々と薪をくべ、水を注ぎ足す。ほとんど口出しすることはない。絶妙のタイミングでもち米が蒸し上がっていく。孫が杵を振るう時に微かに笑みがもれる。鋸の目立てが本業だったらしい。そこの嫁さんにいわせると、昔は義母を泣かせる女遊びもしたという。こんな枯れた好々爺でも、とまじまじと見直したものである。だから男は、と続くのだが、そんな浮き名の一つや二つ男の彩りというものよ、と口には出さずにいい返している。そのおじいさんも本当にあっけなく逝ってしまった。この家の最近の朗報は、長男が農業をやることになったことだ。随分と遠回りしてきたようだが、30歳で覚悟を決めたようだ。農協のグリーンパワーなる会社に勤めながらの兼業だが、後継者がいると俄然勢いが出てくる。昨年とは違った農機具やトラクターが目に付く。投資意欲も湧いてくるというもの。商店や企業でも然り。後継者がいるか、いないかは大きな問題というのがよく理解できる。この家の米は実にうまい。毎日食べるものだけに実にありがたい。これで生涯、わが家の米問題は解決したことになる。農業がやはり国の基本であり、人々の命をつなぐ最も大切な生業であると確信する一日でもある。
そして今年も暮れていく。農業を継ぐ若者をみていると、あのおじいさんの姿が彷彿としてこの詩を思い出した。「ゆずりは」。これで2001年を締めくくりたい。みなさん いい年を。
「ゆずりは」
河井酔茗
こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲ってー。
こどもたちよ、
おまえたちは何もほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽がまわるかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりおまえたちにが譲り受けるものです、
読みきれないほどの書物も。
みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれどーー。
世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなお前たちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。