法律でしか守れない社会

どんな小さな企業でも顧問弁護士を持たなければならない時代だ。いや企業に限らない、個人でもそのくらいの法武装が求められている。
 ライブドアの顧問弁護士である角屋弘志は、毎日ライブドアの社員から直接メールを受ける。相談や契約書のチェックだ。「法務部のような部署を介さず、一番情報を持っている現場の担当と直接やり取りできるようにしてほしい」という依頼を受けてのもの。前身のオン・ザ・エッジの2000年1月から顧問契約をしている。このレベルの経営センスは六本木ヒルズでは驚くに値しないのかもしれない。最近の1年間ではほぼ6000件のメールが舞い込む。スピードを重視する企業だから返事は24時間以内に送る。顧問弁護士も大変だ。ノートパソコンを24時間開いたままで、寝る時はベッドのそばに置いているという。ニッポン放送との法廷争いは、実にライブドアは4億円を投じ、6つの法律事務所から合計18人の弁護士を集めて対抗した。企業の存亡を掛けた大勝負だったのである。(参照 日経ビジネス)
 昨年末、老舗割烹が冷凍おせちで活路を見出そうと進出した。既存店の売り上げ減に手をこまねくばかりだったが、調理師の効率的活用と高級冷凍食品ブームの先取りという狙いでの巻き返し戦略だ。必死の営業が実って、都内の百貨店にも何とか納めることが出来、手ごたえを感じていた。その矢先に、百貨店から呼び出された。当初提出した試作品の包装と違うから、やり直せという。おせちの中味が違うというのだったらわかるが、包装の縦のものが横になったぐらいで何でやり直しなんだ、と食って掛かったが、契約書を持ち出されて引き下がるしかなかった。いままで契約書などに眼を通す時間などもない忙しさだ。この際だからと契約書を読んでみると、違約条項にはとんでもない賠償規定が盛り込まれており、背筋が寒くなって凍り付く怖さを感じたという。コストの中にこうした法務対策費用も織り込まなければならないと、割烹の社長は高付加価値商品への転換を図っている。あらゆるところにリスクがあって、従来のやり方ではやっていけないという思いを強くしている。
 一方、個人でも弁護士に頼らざるを得ない状況が生まれている。企業内部に目を向けると、経営者独裁の時代になりつつある。カネボウや西武を挙げるまでもないが、かつての日本企業は、メインバンク、行政、労働組合などが相互に監視し合う体制であり、見方を変えれば馴れ合い談合ともなっていた。それが崩れている。効率性と透明性が求められ、経営者以外身動きが取れなくなってきているのだ。加えて経営の自由度を得ようと、権謀術数を使って、株主、銀行、組合の影響力を排除してきたこともある。そして望むように、経営者は厳しい企業間競争のひとり只中に立たされた。ところが、そんな孤独の状況に恐くなってしまった。気の小さな経営者は打ち震え、その弱さを隠そうと威張り散らし、おべっか側近を重用するようになる。その分、企業内部の民主主義がないがしろになっていく。上場企業はまだ株価という市場からの監視を受けるが、そうでないと企業内部が密室と化してしまう。密室の中で、社員相互の誰も幸せにしないぞという監視が始まる。そんな経営風土の中で社員は戸惑い、気持ちが塞いでしまう。黙って辞表を書くしか、手立てが浮かばない状況に追い詰められていく。経営者の暴走を嘆く組合幹部とこんな話をしたことがある。闘争積立金や組合専従の人件費で優秀な弁護士と顧問契約をし、交渉権をその弁護士に委ね、組合員の最低の人権を保障する体制をとったらどうか。直接メールで労働基準法違反、セクハラ、パワハラなどが弁護士に送られるとすれば、経営者に対しても最も有効な手段になるし、なによりも御用組合化した中で、誰もが納得して組合費を払うのでは、と。こんなジョークが現実味を帯びる時代になったということらしい。
 はてさて、法律だけで守られる社会というのはどんな社会なのだろうか。想像してみるだけで寒々としてくる。最低のものしか守っていないし、守れたにしても実にギスギスしたものだ。しかし、そこまで追い込まれているのが、零細な企業であり、若い善良な人間であることも忘れてはならない。

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