大人のための「中学受験算数」

 何はともあれ、問題に挑戦してみよう。【例題】午前8時ちょうどに家を出て駅に向かいます。分速80mで歩くと、乗りたい急行の発車時刻の4分前に駅に着きますが、分速60mで歩くと乗りたい急行の発車時刻に1分遅れてしまいます。乗りたい急行の発車時刻は何時何分ですか?

 77歳の頭脳は、家から駅までの距離をXとして解こうと反応する。Xを60と80で割った時間差が5分間。距離は1200mとなり、分速80mで歩くと15分間。午前8時15分に駅に着き、4分前だから8時19分が発車時刻。しかし、解答まで要した時間は15分間。これでは全問が解けず、中学受験に合格とはならない。時間がかかり過ぎである。解き方が間違っているとはいえないが、比と差で考えるとあっという間に解ける。受験生の多くは小学3年生の2学期から塾に通い、繰り返し挑む訓練をして解いていく。こんな幼少期から詰め込むばかりでいいのかという疑問はあるが、今回はさておく。

 著者の永野裕之は74年の生まれで、永野数学塾を経営している。東京大学理学部地球惑星物理学科を卒業して、同大大学院宇宙科学研究所(現JAXA)へ。そこを中退し、ウィーン国立音楽大学(指揮科)へ留学。副指揮を務めた二期会公演で文化庁芸術祭大賞を受賞している。宇宙飛行士から指揮者へ、そして「数学こそグローバル言語」という信念で、07年数学塾を開いた。おのれの才能と感覚の赴くままに動いているように見える。

 大人のための「中学受験算数」。NHK出版新書だが、中学受験に郷愁を感じるビジネスマンがターゲット。受験算数で鍛えた問題解決のための発想力をビジネスで生かそう。図解したり、俯瞰したり、逆から考えたりと、「今、この発想を使っているな」と意識することが肝要だという。

 わが友人にこんな男がいる。数学だけで難関の大阪大学に入り、医薬品の受託製造企業に就職した。50歳を超えた時、大手製薬企業から売り上げが急伸している薬の受託製造依頼が舞い込んだ。相手責任者から説明を聞いた帰途に、より効率的な製造方法が閃いた。実験で確信し、すぐに相手責任者に伝えると成程と頷き、この男を筆頭とする国際製造特許を取得し、製造コストの大幅削減に貢献した。コロンブスの卵といっていい。聞いて成程だが、誰も気づかなかった。著者がいう受験数学で鍛えた問題解決能力が生きた好例である。数学はこれまで出会ったことのない未知の問題に対する解決能力を磨く最適な教科なのだ。そして、現代は文系理系を問わず、人類史上最も数学の力が必要な時代だとも訴えている。

 更にいえば、音楽もそうで、グローバル言語の数学が楽譜に折り込まれている。永野数学塾が音楽塾に早変わりするシーンも多いのかもしれない。

 この新書には例題が24問記されている。まだ4問だが、うんうん唸りつつ挑んでみたい。定価は税別で880円。蛇足だが、NHK出版は出版不況を尻目に、無借金の超優良企業である。

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