勝負師。男にとってこれほどの賛辞、憧れはあるまい。誰しも、一度は呼ばれてみたいと思う。その上に、「飲み、打つ、買う」の放蕩三昧とくれば最高である。それをそのまま絵に描いたような人生を送っている男がいる。藤沢秀行。囲碁を打つ棋士であり、大正14年生まれの80歳。名誉棋聖の称号も持っているが、それでいて破天荒に生きている。
碁盤を打つ石の音を聞きながら育った。熱中すると泊り込んで賭け碁を打つ父親に、母親は秀行を背中にくくりつけて送り出した。そんな父だけに期待も大きく、学校をサボっても、碁会所通いを休むことを許さなかった。日本棋院の院生となったのが9歳の時。それから6年後プロ棋士となった。昭和15年のことである。碁・将棋の中国への慰問団に加わった秀行少年は、船旅の退屈しのぎにカード遊びに興じる大人に仲間入りし、見よう見まねで覚えたポーカー、ブリッジでほぼ全員の金を巻き上げてしまった。
さて、囲碁である。最も勉強したと自他共に認めている。とにかく自分の頭で考え抜く。定石を覚えたり、人に教わったりはほとんどしない。なぜその石が打たれたのか、他に手はないのか一手一手吟味しながら、自分の棋譜はもとより、先輩や仲間、昔の名人の譜を片っ端から並べてみる。石を持つ右人差し指は、爪がぺらぺらに薄くなり、変形までしたという。とにかく強い。昭和52年から囲碁界最高のタイトル棋聖を6連覇した。もう再起不能といわれたが、平成3年66歳にして史上最高齢で王座戦タイトルを手中にしている。
彼にとっては、対局する前のアル中対策が最大の難関。2時間も飲まないでいると禁断症状が出てくる。地獄の苦しみを経て、対局1週間前に完全に酒を抜く。そのまま止めればいいと思うが、対局が終わるとまた浴びるように飲み始める。酒での乱行数知れず、警察にやっかいになることもしばしばだが、家に連絡がきても「そのまま牢屋につないで置いてください」と女房は取り合わない。酒さえ飲まなければと思うのは素人考え、酒があったからこそ、と本人は本気で思っている。
酒に加えて、競輪、競馬のギャンブル。これと決めた目を1点で勝負し、当たれば次のレースに注ぎ込み、勝っていようが負けていようが、有り金全部を最終レースにつぎ込む。一番しびれたのは、勝ち続けて、最終1点買いで62万円を突っ込み、420万円を手にした時。30年前の話だからざっと10倍の貨幣価値である。しかし、これほどの博才をしても、凶と出ること数知れず、ヤミ金融で3億円近い借財を背負うことになる。借金はギャンブルだけでなく、事業にも手を出して大やけどを負っている。指導碁で経済人とつながりができたから、不動産仲介業を開くが、事務所に来るのは碁打ちの仲間ばかりで、昼間から酒びたりとなり、借財だけが残った。余談だが政治家とのつながりも深い。河野一郎、大野伴睦、江田三郎、福田赳夫、稲葉修などだ。
次に「買う」。女房、中野の女、江古田の女にそれぞれ3人、2人、2人の6男1女をもうけている。それもできた子供に罪はないと認知をしているのだ。自宅に3年帰らなかったほどの剛の者だが、この火宅を切り回す女房が凄い。江古田の女は20歳も離れているが、「ひとりで面倒を見るより二人で力を合わせたほうが楽だわ」ということになる。6人の子がいずれも自宅に出入りする。「俺は自分から人を捨てられない。相手が離れていきたいのならそうすればいいが、俺の都合で突き放すことはできない」と身勝手な論理が秀行流。
最後に生命力だ。3度のがんを潜り抜けている。58歳で胃がん、62歳でリンパがん、78歳で前立腺がん。いずれも末期だが、きれいさっぱり治っているという。「アハハツ、ガンも食えない奴なんだなあ、シュウコウは」と医者が笑っているとか。
こんな男もいるんだ。小さいことで悩まないほうがよい。藤沢秀行の一代記「野垂れ死に」(新潮新書)。
勝負師の放蕩
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