伝説の書店といわれるのがリブロ。「文化を標榜している西武流通グループがなぜ自分の力で書店をつくろうとしないのか」という挑発の手紙に唆(そそのか)されて堤清二は75年、西武ブックセンターを立ち上げた。西武百貨店の書籍売り場だが、人材もノウハウもなく本を並べるだけのスタートであった。それから10年、堤イズムが浸透していき、西友も含めた書籍売り場を統合して、株式会社リブロが設立された。リブロ池袋本店は別館・書籍館の2館構造、8フロアで構成され、そのわかりにくさからコンシェルジェと呼ぶ案内係が配置され、1日4000人の客が訪れた。スタッフはアルバイトも入れて100人を超えていた。「書店の店頭でこそ、その時代を自由に編集し、提案することができる」。そんな信条のもと地下1階のアートフロアはわざと照明を落とし、動線もわかりにくくしたうえで、難解な本からわざと目につくような仕掛けが随所にあった。90年前後のことで、西武文化の象徴のように美術館と並んで、西武池袋本店の顔となり、業界でも有名なカリスマ店員輩出した。
当時、早稲田の学生で雑司ヶ谷に下宿していた辻山良雄はこのリブロに通い詰めていた。そして就職先に決めたのがリブロであった。入社した97年には経営が傾きかけていて、カリスマ店員たちも一人残らず退社していたが、それでも残り香のように文化は残っていた。最初の配属先は大泉学園店、それから福岡、広島、名古屋の店を回り、09年に池袋本店のマネージャーとなる。決められた仕事はなく、居場所は自分で作れということ。人文書・芸術書の強さを生かすべく、思想界の最前線にいた浅田彰、中沢新一、吉本隆明などを招いてのトークイベントを企画、それがきっかけで若手思想家もとなり、書き手、読み手、売り手がひとつのハーモニーを奏でるようになっていった。しかし時代のスピードはそれらを追い越していく。リブロ本店の閉店が15年7月20日と決まり、40年の歴史を閉じることになる。辻山がそのエンディングイベントを仕切る役割となって、歴代スタッフが選ぶ「今も心に残るこの1冊」などを企画した。閉店日のレジの客数は8000人、売り上げは2200万円と最高を記録する。辻山は上司に「自分で本屋をやりたいので、辞めたい」と告げる。誰もが無謀だという表情であったことは間違いない。書店数の減少はピークの3万店から8000店となり、売り上げもアマゾンの出現もあり激減していることを見れば当然である。ひとりで本屋をやりたいという思いに、運命の導きのような必然を感じていた。
16年1月10日、東京・中央線沿線の荻窪駅から12~13分の雨漏りのする2階建て一軒家を改装して書店「本屋Title」がオープンした。辻山44歳。新刊、カフェ、ギャラリーという欲張ったものだが、ミニリブロを想定すると不可欠であり、夫婦だけで乗り切っていくことになる。事業計画も興味あるところなので紹介しておこう。
資本金は300万円の株式会社タイトル企画。従業員は夫婦2人。ほぼ1万冊の在庫を持って、月売上高は書籍205万円、カフェ45万円としている。本の仕入れを取次である日販として、書店の取り分は22%なので45万円の粗利益となる。契約では保証人3人、配達ルートは既存のもの、返品運賃負担は日販となり、信任金として取引額の2か月分約315万円を納めるというもの。16年度の決算だが1月10日~10月31日で、初期投資を除いて売上846万円、営業経費589万円、営業利益256万円となっている。
本のプロを目指す挑戦は始まったばかり。その辻山はいう。目の前にあった仕事に向き合っていると、出会った人や体験したことが、次のもっと大きな仕事に自分を連れていってくれた。気負うことはない、と。
さて、軽佻な老人はそんな辻山の著書「本屋、はじめました」(苦楽堂)に唆されて、7月21日(金)午後2時から、文苑堂富山豊田店で恥ずかしながらトークイベントを開くことにした。もちろん押しかけ。詳細は後日お知らせするので、ぜひ参加してほしい。会費は1000円。
「本屋、はじめました」
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