昭和20年生まれ

 西暦派であるが、昭和20年だけは1945年といい難い。05年に「ゆずりは通信」を上梓した際に、副題に「昭和20年に生まれて」と添えている。同年生まれの親友からの助言であったが、書名に奥行きが備わった。更にいえば、韓国光州で生まれたこと。映画監督の山田洋次は満州で生まれ、父が満鉄職員であったことから、自らを「中国侵略の申し子」と称している。それに倣えば、わが父は光州刑務所の看守であったので、「朝鮮侵略の申し子」そのものである。そんなこともあり、不二越徴用工訴訟連絡会に数年前から加わっている。主要な活動として、株主総会での正門前集会と総会でのアピールがある。昨年32万円余をはたいて、100株株主となった。いわば、初めて株主総会での発言資格を得たのだ。というわけで、どうしたものかと考えてきた。

 1月27日のフジテレビ記者会見も参考になった。不二越にも日枝会長と同じく、20年余も君臨する本間博夫会長がいる。社長を取っかえ引っかえしながら、院政を敷いている。この本間会長に照準を当てることにした。そうしたら、本間会長も昭和20年生まれであることが判明した。

 「本間さんに期待を込めてお願いしたい。代表権を返上されたので今期限りで退任を決意されていると想像しているが、不二越の負の遺産である徴用工問題の解決の糸口を作って、退任してほしい。あなたも私も昭和20年生まれ。敗戦の荒廃の中でひもじい思いをして育ち、朝鮮戦争特需で日本経済が息を吹き返した。その後の高度成長につながり、その恩恵を最大限享けてきた世代である。傘寿を迎えるが、われわれには戦後の負の遺産を精算していく使命があると思う。大きな歴史的な視野に立って、わが世代の矜持を示してほしい。晩節を汚すようなことは決して許されない。みんな見ています」

 2月26日、不二越本社での株主総会。その最終局面で議長は質問を打ち切るという。手を挙げ続けていたが指名されず、発言なしで終わるのかと思った時、とっさに「議長、動議」と叫んだ。手短かにいえと議長は促すが、気合を込めて、これを伝え切った。隣にいた友人は、本間は神妙な表情で聞いていたという。してやったりである。議長は「動議の要件を満たしていない」と却下したが、そんな事はどうでもいい。

 徴用工闘争に興味を持ったルポライターの安田浩一がこの総会に同席していて、「いい発言でした」と声を掛けてくれた。

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