「戦後60年 私たちはどう生きてきたか?そしてこれからは?」。何ともお堅いシンポジウムが行われた。それもそのはず、戦後民主主義をリードしてきた『世界』の創刊60周年を記念するもので、発言者がいみじくもいい当てた“ハルウララ・デモクラシー”の懺悔にも似たものとなった。6月4日・5日の両日、浜離宮朝日ホール。その抜粋である。
「バカンスを持っている民衆は強い」。これは正鵠を得ている。フランス、オランダがEU憲法の批准でノーと突きつけたのに象徴される。休みもせずに考えることはできない。誰も幸せにしない不眠不休の成果主義を変えるには、国民バカンスを持つかどうかだ。
「言葉のトリックにだまされ続けている」。規制緩和だ、市場が決めることだ、といっているうちにどんどん貧困が生み出されている。資本金10億円以上の従業員の平均年収740万円はこの10年でマイナス1%、資本金1000万円以上の年収380万円はマイナス9%、資本金1000万円未満の年収280万円はマイナス15%。貧乏人はますます貧しくという、こんな厳しい統計があるのだ。官から民への掛け声に、民の実態は何かを考えていない。大企業に過ぎないことも見えず、地域自営業者は絶滅に近い状況となっている。この不況にこれでもかと寒風を送り込むものなのだ。民を担う生協、NPOの市民セクターの強化を図るべきだという指摘だ。
「どうして戦争に反対しなかったの、戦後自分が発した同じ言葉が次世代から問われるかもしれない」。憲法と自衛隊、この二重基準を弄びながら、ついにイラクへの自衛隊派遣まできた。米軍の世界戦略に抜き差しならず組み込まれた自衛隊。もう引き返せないところまできているのかもしれないという現実。そして何よりも、反日デモを弾圧しろと、中国、韓国の民主化と連帯し得ない人権意識の低さこそ問題なのだ。
「貧困を必要とする社会になっている」。労働契約によらない個人事業主、独立自営業の立ち場で働く人の激増は、守るべき労働法が消えてしまって、人間の見えない商法がまかり通っている。人間が企業の前に奴隷化し、もはや搾取というよりも排除の対象。貧困を見せつけておびえさせ、ますます屈辱的な生活保守化思想が、JR西日本だけでなく日本中のあらゆる企業に蔓延している。
「02年の家計に占める教育費。年収300万以下で157万円、1000万円以上で223万円」。関東近郊では離婚、リストラ家庭が急増しているが、教育投資こそ次なる浮上の決め手と考え、歯を食いしばって捻出している。子供が投資対象となって、親を見る眼がスポンサーを見る眼に。何ともいじましい風景なのだ。所得の格差が次世代までひろがる。学力ランキング競争にしか関心を寄せない大臣、教育ジャーナリスト、教育評論家によって、近視眼的で不適切な改革が学校現場をますます混乱させ、学力低下が助長される悪循環になっている。不審者進入という見えない敵への危機管理にしても、事細かなマニュアルが作成され、現場責任をむしろ回避する代物で、現実的な対応とはなっていない。とにかく現場では考えるな、マニュアル通りにやれ、との官僚主義が教育現場を覆っている。
はてさて、どうしたものかと思案していた日曜の昼下がり。外資系保険会社に勤務する知人の息子が訪ねてきた。事前に知人から電話があってのこと。すぐにわが退職金目当てと気がついたが、これも親心と話だけ聞くからと快諾した。36歳、妻子あり、横浜在住。小さな建材商社を見切っての転職だが、独立自営業。契約を取らないとやっていけない。そうした切羽詰ったことを表情に出さない、気持ちのいい青年であった。異業種交流やセミナーにも積極的に参加し、人脈を広げているとのこと。
契約に至らなかったのは、手数料1.5%。定期金利をはるかに超える。この緊縮デフレから抜け出すシナリオが出てこないと、彼も私も苦しい。市場競争原理に任せるだけの竹中路線では間違いなく貧困者だけが増えていく。
貧困を必要とする社会
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