東京電力は万死に値する、と大書された黒表紙「告発」(ビジネス社)はやはり目を引く。著者は蓮池透とくれば、手にせざるを得ない。55年新潟・柏崎に生を享けた宿命でもあろうか、拉致と原発という二つの不条理を抱える人生を余儀なくされた。県立柏崎高校、東京理科大学工学部電気工学科を卒業し、77年東京電力に入社した。父親が柏崎刈羽原発を誘致した小林・柏崎市長に東電への推薦状を依頼し、その効果かもしれないと正直だ。理系の素直な性格なのだろう。東大、東工大がひしめく中で、理科大出身は歴代で二人目と肩身は狭かった。福島第一原発が最初の配属先で、09年に早期定年退職制度を選択して、55歳で退社するまでの32年間、一貫して原発に携わった。エンジニアとしての矜持は人一倍で、亡き吉田昌郎・福島第一原発所長は同期でもある。その彼が一人称で語る、原発を再稼働してはならないという語り口は、誠実で説得力がある。その理由として、核のゴミの最終処分場がない、「世界一厳しい基準」は大嘘である、避難計画の不備は人命軽視である、を挙げる。この結論をぜひ信じていただきたい、と蓮池は願っている。
原発の現場である。東電社員の殿様ぶりは際立っている。東電社員自ら行うのは運転ぐらいで、その他設備保守、放射線管理、改良工事等々ほとんどの作業が請負や委託の形態で下請け会社の手で行われる。いわばただ見ているだけで、年配の下請け作業員をあごで使っている光景である。それでも東電社員がたじろぐ場面がある。見下していた作業員が作業服を脱ぎ、その背中に「昇り龍」の刺青が見えた時である。あんちゃん、舐めた口をたたくんじゃないよ、と威嚇するようだ。暴対法に厳しい適用は、除染などの原発現場にやくざを呼び込んでいる。経営陣も、原発は国策でやらされた、事故責任も本来は国の責任であり、賠償も電力料金への上乗せなど転嫁して当然といった風で、主体性など微塵も見えない。津波対策の防波堤のかさ上げ対策も、今までの想定では危険だったのか、と切り返されるのを恐れて、できなかったというのが本音。先送り無責任体質に骨の髄まで侵されているのだ。
その最たるものは、汚染水対策。約350億円をかけて凍土壁を作ったが、まったく限定的で年間10億円の電気代が垂れ流される。当初地下ダム建設が馬淵首相補佐官の提案で想定されたが、東電が1000億円のコストに耐えられないと難色を示し、実現しなかったが有効な策であった。小出・京大助教のタンカーで他の原発に運び、そこで処理する案も、今にして思うともっと検討されてよかった。500万本に達するドラム缶が並ぶ光景だが、海へ希釈して放出する案に固執しているようだが、その影響からして国際的に容認されるのだろうか。
想像を絶する廃炉作業にしても、とても今世紀中には無理であろう。燃料デブリがどうなっているか、どう取り出すのか、その技術見通しが全くできていない。東電はHPで、全体的に冷却状態が維持されているとのんびりと報告しているが、危機感や切迫感がまったく感じされない。国は東電が当事者と逃げ、東電は柏崎の再稼働で稼がないとどんな対策も取れないと逃げている。蓮池は断言する。東京電力を破綻処理し、国策で必要な策を国が行うしかない。
柏崎で生まれた宿命を受け入れながら、歴史にもてあそばれたようにも見えるが、拉致及び原発で示し続けた本質論は見事それに応えたといっていい。シンゾウが激怒したという「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」も今こそ必読してほしい。