「熱狂するな」半藤一利の遺言。

 1月7日午後から降り続く雪は1週間となった。明日の予定がない身なので、家に閉じ込められても、さして不都合はない。コロナでお買い得と乗せられて、ワイン12本を手に入れたのも今となればうれしい誤算。つまみの安いチーズを買い置きしておいたのも幸いしている。加えて、立山町の登喜和に頼んだ餅もたっぷりある。籠城1か月は大丈夫だろう。

 やはり、思い出すのは38豪雪。高校2年生であった。新湊から射水線での通学で、電車が動かない。担任の陽(みなみ)先生に、富山駅前・もなみ旅館に泊れといわれ、多分2泊した。旅館代を払った記憶がなく、既に陽先生は亡くなっておられ、申し訳なく思っている。

 さて、豪雪がもたらした時間だが、わがライフテーマの教科書ともいえる「きみたちと朝鮮」(岩波ジュニア新書)をおさらいした。著者の尹健次(ユン・コンチャ)神奈川大学名誉教授は1944年生まれの在日2世。中高生を念頭に説き起こしている歴史洞察の深さに感銘を受ける。格好の入門書だ。品切れとなっているが、岩波はぜひ重版してほしい。

 そんなところに作家・半藤一利の訃報が飛び込んできた。2005年9月4日、森の夢市民大学の講師として魚津に招いている。洗足学園魚津短期大学講堂での開催だが、懐かしい。割烹万両で懇親会もやっている。記憶がおぼろだが、池田弥三郎の話題で盛り上がった。お互い生粋の江戸っ子である。好奇心の赴くまま、どんどん入っていくという文藝春秋で培われた編集魂を、束の間の会話でも感じ取れた。

 彼の遺言として、これだけは伝えておかねばならない。(あの敗戦での)310万の死者が語りかけてくれるものとして、5つの教訓にまとめた。 第1に国民的熱狂を作ってはならない。なんと日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ち始め、人々を引っ張ってゆき、流してきた。第2は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好み、自分にとって望ましい目標を設定し、上手な作文で空中楼閣を描く。物事が自分の希望するように動くと考える甘さでもある。3番目が、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。陸軍大学校優等卒の集った参謀本部作戦課が絶対的な権威をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めない狭隘さ。4番目は国際的常識をまったく理解していないこと。ポッダム宣言の受託が意思の表明でしかなく、きちんと降伏文書に調印をしなければ終戦が発効しないことを知らずに、どれだけ無駄な血を流したことか。5番目は、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想をする。その場その場のごまかし的な方策でまったく大局観がなく、ロングレンジのものの見方ができない。

 さらに加えて、ヒトラーにくっついた大日本帝国は、いまの日本国と似たところがあるという指摘。トランプがヒトラーという意味ではないが、トランプがどういう人間か、まだわかっていないときから安倍首相は飛んでいって握手をして、同感である、一緒になってやりましょうという、あれはまさにヒトラーにくっついていった松岡洋右であり近衛文麿であるといってもいい。トランプ政権のアメリカと仲良くさえしておけばすべて大丈夫だと思っているらしい国民感情だが、これこそ危うい。

 310万は日本の死者で、2000万人近いアジアの人々を死に追いやった加害責任こそ忘れてならない。

 

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