「舟を編む」

初めて辞書を手にしたのはいつのことだろうか。中学入学時のニュークラウン英和辞典は別にして、ちょっと記憶にないが、広辞苑は高校時代にはあったように思う。どういう経過でわが家に不似合いなものがはいってきたのか定かではない。大学時代に2万円余の仕送りが届くと、その広辞苑の1000頁、2000頁に1万円札をそれぞれはさんで置いた。こんなこともあった。あと1万円が残っているはずと、ページを繰るが出てこなくて、この秘密を知る親友を疑ったことだ。情けない思い出である。また、語彙を増やさなければ、と不案内な言葉に出くわすと必ず広辞苑を繰り、大学ノートに書き写していたこともある。広辞苑の物言わぬ威厳に敬服していたといっていい。
 この初版は昭和30年に発行され、定価は2000円。初任給9000円の時代だから、現在の物価からすれば、4~5万円かもしれない。それが14年間で約100万部売れて、一家に1冊といわれ、岩波書店のドル箱商品になっていった。いま手元にあるのが二代目で、昭和52年発行の第2版補訂版第2刷である。定価4600円。同年暮れにボーナスが入り、清明堂で求めた。ところが10年前あたりから、パソコンが机の大半を占め、この大冊は不要なものとなり、現在は小ぶりな三省堂の新明解国語辞典をそばにおいている。
 さて、この分厚い辞書をつくりだすのが出版社の辞典編集部である。10年がかり、いや20年がかりの仕事を営々と続ける部署だ。29歳で直木賞を受賞した三浦しをんが、岩波書店、小学館、王子特殊製紙を取材し、言葉に対する感性を生かして描いたのが「舟を編む」(光文社 1500円)。しをん流の軽快な青春ものだが、おもしろかった。
 大学院卒で玄武書房・営業部にいる馬締光也(まじめ・みつや)が辞書編集部に配属されるところから、物語は始まる。新しい辞書「大渡海」を出版に漕ぎ着けるまでを、老学者、ベテラン編集者、印刷の担当者などを交えさせ、展開している。
 辞書づくりは、用例採集カードをこまめに作成することから始まる。老学者は片時もこのカードを放さない。持ち歩く鞄には本が詰まっている。古書店街を歩いて、新旧さまざまな小説の初版本を買い集め、辞書に用例として使えそうな文章を探し出す。辞書ではどの文献に初めて登場したのかを重視するからだ。テレビを見ながらでも、聞きなれない言葉が出てくれば記入していく。「言海」を一人で編んだ大槻文彦、「広辞苑」の新村出をモデルにしている。
 続けて、収録する見出し語(項目)を選定するのだが、これが20数万に及ぶ。次に編集方針を固め、執筆要領を作成する。50人以上に原稿を依頼するため、各人が好き勝手に書いたら、文体も統一できないからで、「どんな情報を、何文字で、どういう体裁」で、と見本原稿を作成する。集った原稿を片っ端から印刷所に送り、念入りな校正作業が始まる。それが5校にも及ぶ。小説では、4校が終了した時点で「血潮・血汐」が抜けているのに気付き、全原稿を洗い出すために地獄の合宿が1ヵ月に及んだ。これは広辞苑で実際起きたことで、岩波では伝説化している。
 更に用紙の選定も大きなポイントだ。薄さ、それも裏写りしてはいけないという条件での徹底した薄さが求められ、さらにぬめり感が加わる。1ページがキチンとめくれる感覚である。装丁ももちろん念入りに出来ている。社内から金喰い虫といわれる所以でもある。
 そして面白いことが起きた。岩波が国語辞典第7版を11月18に売り出すと、すかさず12月1日三省堂が新明解の第7版を売り出したのである。価格は同じ3000円だ。この勝負、どのような結果になるか。それぞれの現場の努力を思うと、どちらにもといいたいが、小さなパイの奪い合いになることは間違いない。

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