おっちょこちょいな性格も時にありがたい。稲塚秀孝映画監督と飲む機会を得た。2月11日開催されたとやま映像祭に自らが手掛けた「NORIN TEN 稲塚権次郎物語―世界を飢えから救った日本人―」が上映されるので、その舞台あいさつのためにやってきていた。さる人から、彼だったら米騒動の映画化にも関わってくれるかもしれないと酒席の盛り上げ役を頼まれた。雲をつかむような話だが、「エキプ・ド・シネマ」を主宰した亡き高野悦子・岩波ホール支配人が米騒動は映画に向いているといった一言を遺言のように受け止めたさる人はその可能性を見極める格好の機会と踏んだ。それではとNORIN TENを見たが、仲代達也及び無名塾のスタッフが支えている。03年の4月、国民宿舎・能登小牧台で開かれた無名塾の交流懇親会で、仲代と固く手を握り合った記憶が蘇った。彼は伴侶である宮崎恭子を亡くして日が経っておらず、小生も妻を亡くしたことを告げると、手を差し出してくれた。これも何かの縁と思い、富山駅前の居酒屋談義に急いだ。
稲塚監督は50年苫小牧生まれ、5歳年下だと思うと気も軽くなる。父親が権次郎とまた従兄にあたり、農林省を退官したあとにリュック姿で権次郎が苫小牧に訪ねている。そんなこともあり、地元・南砺市で開かれる権次郎まつりに数年前から参加していた。中央大学を卒業後、伝説の制作プロダクション・テレビマンユニオンで腕を磨き、85年に独立している稲塚監督にしてみれば、当然映画化という思いを秘めていた。ところが弾みというか、13年の同まつり会場で田中・南砺市長と話をする機会を得た時に、映画の企画を考えているところですと漏らしてしまった。田中市長は渡りに船と「ぜひやりましょう。物心両面で支援します」と応じ、すぐに周りにいるみんなに向かっての映画化宣言をしてしまった。ここのポイントは、どちらが先にこの話を持ち出したかである。膨大に膨らむ映画製作費の尻拭いを監督が引き受けるという暗黙の了解が為されたことを意味する。この微妙な間合いが大事であり、細心の注意を払わなければならない。
ビールが進んだところで本題に入っていく。米騒動の関連本を近日中に送りますといったところ、すかさず返ってきたのは「縁よりも円なのです」。映画製作費をどう工面するか、そのシナリオが先ですときっぱり。物心両面での支援を惜しみませんでは済まないのです、最後の始末まで責任もってみますということでなければ踏み切れません。プロヂューサー役を担う腹を固めて、関連自治体、協力が期待できる企業にあたるのが先決です。そう断言されてしまった。こちらは下を向くしかなかったが、稲塚監督から深夜バスで帰京すると聞き、半端でない覚悟が見て取れた。
はてさて、主役はやはり室井滋だろう。滑川出身ということもあり、浜の女にぴったりだという話題もすっ飛んでしまった。映画制作はデジタル化で随分コスト削減はできたが、それでも桁違いにかかる。明治大正期となれば衣装代、ロケセットなどを想定すればNORIN TENの6000万を超えるものを視野に入れないと話にならない。黒沢明監督が映画「乱」で4億円の城郭セットを作り、実際に炎上させた落城シーンはもはや伝説である。5社協定で覇を競った松竹、東宝、大映、新東宝、東映がすべて丸抱えする時代は遠の昔に終わり、監督を抱えるのは松竹だけで、他はその都度起用する非正規扱いで「君の名は」が200億を超える興行収入を得ても、監督の収入は微々たるもので次の制作を約束されることもない。今の映画界の現状からして重厚な作品を期待するのは難しい。そんな時代認識を結論にして下を向いたまま家路についた。
ところで下を向くといえば、東芝の従業員19万人はどんな気持ちだろうか。その経営責任は万死に値する。事なかれが蔓延する組織の末路を肝に銘記すべきだ。深夜バスに乗り込む稲塚監督の潔さが際立って感じられる。
縁より円なのだ
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