果たして今、われわれはどのあたりにいるのであろうか。われわれのひとりである自分はどのあたりか。世界の事象がことごとく逆回転して、お先真っ暗という中で、やはりこんな問い掛けにならざるを得ない。地球物理学を専攻する松井孝典は実にわかり易くこの問いに応えている。「われわれはどこへ行くのか」(ちくまプリマー新書)。まず「われわれ」の定義であるが、現在生きているわれわれを「現生人類」と呼ぶ。正確ではないが700万年前にいろいろな種類の人類がアフリカの地に生まれては消え、生まれては消えしながら、16万年前にわれわれの最初の祖先が生まれた。ミトコンドリアDNAという母親の卵子からだけ受け継がれていく遺伝子みたいなものがあって、その跡をたどっていくと、われわれ現生人類はすべて、アフリカにいた一人の女性につながっている。彼女の名前はミトコンドリア・イブである。それから概括してみると、こういうことになる。
新生人類が誕生して20万年になるが、地球が厳しい変化を重ね、文明が成立する気候環境が整ったのはわずか1万年前のことに過ぎない。その間に人類は3回の大飛躍を経験している。1回目は10万年前、脳の成長とともに言語を持ち、アフリカを出て世界に進出した時。2回目は「奇跡の1万年」ともいえる1万年前で、人類は農業を始め、都市をつくり産業を起こし、文明のすべてを築いた時。3回目は18世紀の産業革命の時である。
そして、松井は「われわれとは何か」に応えて、本質的に論ずるならば「生物学的人間論」でもなく、デカルトの「哲学的人間論」でもなく、「地球学的人間論」であると訴えている。人間圏を急激に拡大させた結果、地球をこれほどまでに汚染する存在になってしまった現生人類とは何か、を問わずして何を問うのか、というわけである。狩猟採集から農耕牧畜という生き方に変えた時に、いわば人間圏を構成しだした。森林という状態の時と、畑という状態の時とでは、地球上のモノやエネルギーの流れは明らかに異なる。いや、速めているという指摘の方があたっている。文明とは、この人間圏をどんどんつくって生きていくことに他ならない。
もっと端的にいうならば、今われわれが1年生きるために動かすモノやエネルギーの移動速度は、地球の営みの移動速度の10万年分に相当する。つまり時間を10万倍は速めているということ。もっと大胆に論を進めると、5億年後の地球から生物圏が消える。つまり地球は生命の惑星ではなくなる。実は太陽というのは、誕生以来ずっと明るくなり続けていて、これは大気中のCO2の量をどんどん減らし続けることで、植物をはじめとする光合成植物が生きられなくなってしまう。この10万倍の生活を続けていると21世紀の半ばには、人間圏は行き詰ってしまうということになる。はてさて、たとえそうだとしても、狩猟採集生活の戻るわけにはいかない。
そして、最後にどんでん返しのように松井はつぶやく。環境汚染は悪だ、と簡単に片づけてしまっては環境問題の本質的な理解になっていない。大気中の酸素も、海中の塩素も過去の汚染物質から生まれている。地球システムのモノやエネルギーの流れが変化し、必ず物質圏からゴミが発生し、既存の物質圏の構成を変えてしまう。物質圏の分化の必然で、いわば宇宙も、生命もそんな中から生まれてきたというわけで、その後は誰も知りえない。確かなことは、生命の惑星である地球も変転極まりないものであり、わが現生人類も新参者に過ぎないということ。
そうであればミトコンドリア・アダムのはかなさ、よるべなさは際立つばかり、露と落ちにしこの命をせいぜい楽しもうではないか。われ亡き後知ったことかいホトトギス(拙句)。
われわれはどこへ行くのか
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