「死ぬ日まで空を仰ぎ、一点の恥辱(はじ)なきことを」。韓国の国民詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の「序詩」の一節である。これを諳(そら)んじない韓国人はいないという。そして、この詩人もまた抗日独立運動の聖地である延辺・間島(カンド)の出身であった。抵抗詩人とも冠される所以は、同志社大学に留学していて治安維持法違反で捕らえられ、福岡刑務所で27歳にして獄死していることだ。日本の敗戦目前の45年2月26日のことである。詩の一節をそのまま生き抜いたといっていい。本では、尹東柱に魅せられて、ハングルでその音韻をそのまま聞き取りたいと語学留学した川合光子に取材している。
韓国の高校教科書には「間島問題と独島問題」という項目がある。間島は朝鮮と清国間の積年の領土紛争地とあり、日本名・竹島である独島と同列の認識をしている。中国と韓国、北朝鮮の微妙な関係はかなり深く、嫌中感を抱く誇り高い韓国人も多いということに他ならない。
さて、更に朝鮮民族にとって最大の受難の朝鮮戦争が待ち受けていた。50年6月25日未明、北朝鮮軍が38度線を越えて攻め入り、突如戦端が開かれた。同じ民族が血で血を洗う凄惨極まりないもので、韓国全土が焦土と化し、市民も含めれば死者は北で250万人、南で133万人といわれる。北の劣勢を押し戻すために参戦した100万人の中国人民志願軍は40万人が戦死した。この志願軍に朝鮮族が駆り出され、多くの犠牲者を出している。裏返してみると、中国への忠誠が疑問の余地がないほどの血が流されて、朝鮮族への自治を認めるほかなかったのである。
更に更に、66年から始まった毛沢東の最大汚点の文化大革命である。忠誠が疑われ、粛清がこの地で吹き荒れ、朝鮮族の自主自治が大きく阻害された。著者の戸田が、黒龍江大学の日本語サロンで出会った李周勲に取材している。家庭が裕福なこともあり、早稲田に留学していたが、解放後地主階級であったことが災いして、学歴があってもどこにも雇ってもらえず、やむなく中学教師となった。文化大革命では、朝鮮や日本に留学した知識分子、特務(スパイのこと)といわれて紅衛兵に引きずりまわされて拷問を受け、左足を引きずっている。この知識人から、戸田は朝鮮族のほんとうの歴史を学んでいる。
いまの中国朝鮮族はどうか。中国の開放政策にうまく乗る形で、逞しく生き抜いている。農村部から都市部に移動して、キムチ販売や食堂経営などのスモールビジネスで稼ぎ、子弟を上海、北京の大学に学ばせ、韓国企業の中国進出に合わせて、その雇用の受け皿となって貢献しているのである。それは中国だけに限らずスターリンによって中央アジアに強制移住させられたものはロシアで、朝鮮戦争でのつながりからアメリカで、そして何よりも韓国への移住も多く、朝鮮族ネットワークはグローバルな経済展開に見事対応して花開いている。サムソンや、現代自動車の飛躍も彼らが支え、その果実も享受していると思えば、数々の悲劇としたが、悲劇を胸に秘めて、一から出直しても生き延びる移民移動を厭わない生命力に感嘆するしかない。無責任だが、東北人にもこのガッツである。
最後となったがこの労作を手がけたエネルルギッシュな戸田郁子にも触れておかねばならない。59年生まれだから多分52歳である。学習院女子短大を卒業してから、83年に延世大学韓国語学堂、高麗大学史学科に留学している。88年のソウル・オリンピックでは、通訳アルバイトで稼ぎ、ハルビンの黒竜江大学に語学留学もしているのだから意欲的だ。天安門事件で大学が閉鎖されると、延辺朝鮮族自治州に出かけ、今回の出版のきっかけをつかんだ。その後、写真家・柳銀珪と結婚、2子をもうけている。
参照/「日本と朝鮮 比較交流史入門」(明石書店)
「中国朝鮮族を生きる」下
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