馬喰町

 11月9日、東京駅で降りてすぐタクシー乗り場に急いだ。84歳の姉と一緒の旅で、彼女は仕入れも兼ねている。やってきたタクシーは女性運転手で、車はトヨタのジャパンタクシー。行き先を馬喰町(ばくろうちょう)と告げて、話も弾み、目安にしているエトワール海渡の前で降ろしてもらう。しかしこの海渡で仕入れるわけではない。会員証を見せなければ入店できないし、現金仕入れで、地域一番の衣料品店に支持されてきた。わが店はそのレベルに達していない。路地の奥にある小さな店を探し出し、姉は生き生きと品物を見定めて、小気味よく買っている。後ろで心配そうに見ているのだが、認知症が嘘のようだ。お昼までの1時間足らずで仕入れは終わった。宅配伝票の住所を書くのが弟の仕事である。

 わが家は朝鮮からの引き揚げ者で、父は闇市で商売を覚え、新湊で衣料品店を開業し、戦後の一家を支えてきた。姉は婚家の家業が行き詰まったのを機に、店の手伝いを始めたのである。文化服装学院、山脇学園短大と好きな服飾を学んできたことに加え、弟に代わって店を継いでみたいと思っていたのかもしれない。ここ20年くらいはひとりで切り盛りしていた。閉店セールみたいなことを繰り返し、半分シャッターを閉めながらも細々と注文に応じていた。売るという行為はお客との絶妙なやり取りで、押しすぎず、引き過ぎずの芸術だと思っている。根っから好きなのだろう。唐変木の弟より、商売人向きだったということ。酔った勢いで、引き継いでいたらユニクロになっていたと嘯いているが、今頃は路頭に迷っていただろう。

 ところが昨年秋、鎌倉の友人を訪ねた折に、小町通りを歩いていて人がぶつかってきて、大腿骨を骨折してしまった。こんな不運が転機となる。射水市民病院での1か月に及ぶ入院で、術後うつという感じで得意の料理もやらなくなった。しかし、店だけには欠かさずに出かけて、たまにやってくる友人や馴染み客と談笑する日々を送っていた。夏前であったろうか、冷蔵庫の食品が賞味期限どころか、カビが付着しているのが見つかり、認知症が疑われるようになった。できるだけ話し相手を務めようと新湊に通うことにしたある日、東京に一緒に出掛けようといい出した。二人の旅費くらいはこの仕入れで稼いでみせるという商魂である。否定するのはよくないという心理もあり、行こうと応じた。いつもは友人との会食をいれるのだが、目が離せいので断念。サポートに徹すると胆に銘じる。それでも、認知症はそんな商魂も空回りさせる。メモにして渡した日程表も紛失し、銀行で降ろす仕入れ資金も覚束ない。出迎えをし、新幹線でコーヒーを飲み、相変わらずの昔話に興じた。馬喰町の後、新宿伊勢丹をめぐって、夜には次男一家をホテルに招いて、楽しく過ごした。翌日は東京ステーションホテルで、軽い昼食をゆっくり食べて、無事帰路に就いた次第。

 認知症は、原因も予防法も治療法もわかっていない病気だ。毎日運動を続けても、好奇心が強く、友人が多くいても、認知症になったというケースは多い。誰しも避けることはできないのだ。家族にとって、一番の心配は火の始末。そのために24時間見守ることはできない。認知症になっても安心して生活できる社会を目指したいが、簡単に見つかるわけではない。神戸市では、個人市民税を引き上げ(1人400円)で年間約3億円の財源を確保、認知症者が引き起こす損害について賠償する支援策を打ち出している。個人的に警備保障会社の見守りなどを取り寄せているが、自治体でやってもらえるとありがたい。

 人生のたそがれ。昔の記憶を語り合える姉弟がいることがありがたい。えつ、そうだったのかと知らされている。

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