師走の慌ただしさに紛れるように、亡き坂本龍一を取り上げてみた。1952年生まれの7歳下だが、東京芸術大学音楽学部作曲科で学び、「教授」「世界のサカモト」と呼ばれる。音楽は読むことはできず、最も縁遠い存在であるが、手がかりになったのは「坂本図書」。本と人物録で綴り、装丁も知的で洒落ている。版元は家庭画報で連載していたので同社と思いきや、何と一般社団法人坂本図書で、自分の会社だということ。「いつか古書店の店主になるのが夢だった」という坂本は、自ら所蔵していた本を手に取ることができる図書空間「坂本図書」も、亡くなった後の9月に都内で開館している。場所は非公開でSNSでの予約者のみ。米国定住仕込みの率直でプラグマティックな生き方、やり方が垣間見える。
わが世代は彼の父である伝説の編集者・坂本一亀を抜きに語れない。河出書房の「文藝」は読書の指針というより、人生の指針でもあった。とりわけ作家・高橋和巳は彼が見出し、育てた。この一事を取っても、わが世代の救世主といっていい。ひとり息子である龍一はそんな文学環境の中で育ったことは間違いない。
坂本図書から印象に残ったことを記したい。武満徹との出会いは面白い。武満が邦楽器を自己の音楽に取り入れたことを、坂本は「復古主義だ」という批判のビラをコンサート会場で撒いた。それをとがめるでもなく、その理由を見も知らぬ若者に30分も話してくれたのである。その後新宿のバーで偶然会った時、自分のピアノ曲も聞いてくれており、「君はよい耳をしているね」といってくれて、坂本は狂喜した。
作家・中上健次との出会いだ。中上の5歳下だが、新宿でジャズ漬けの日々は共通し、共にジョン・コルトレーンを別格とし、中上の執拗に繰り返す文体はコルトレーンであり、ジャズなのだと納得する。「輪舞するソウル」は中上が育った和歌山新宮の被差別部落の延長にある韓国ソウルのルポを書き、篠山紀信が写真を添えている。興奮して読んだというが、触発されて坂本もソウルに行き「SEOUL MUSIC」という曲を作った。二人はすごく馬が合った。
夏目漱石から漫画家の安彦良和まで多彩な人物が登場するが、坂本と安彦良和の対談は古代史に及び、レベルが高く、面白い。家庭画報がこの連載をどんなきっかけで企画したのか、家庭画報読者がどう受け入れていたのか。興味深い。
音楽に造詣の深い友人に作曲科というのはどんな勉強をするのか、と聞いた。モーツアルトもわからない老人には想像の外だと相手にされなかったが、こんな話を聞かせてくれた。3歳でピアノを習い始めた坂本が10歳で松本民之助・芸大教授に作曲も学び始めている。「先ず低音を耳のなかで響かせる」ことの大切さをいつも呼びかけ、「本当に音楽好きの子供は本当に音楽好きの教師からしか育たない」と松本は児童の音学教育に情熱を注いだ。この友人も松本から「もっともっと音楽が好きになるよい生徒になってください」という手紙をもらっている。わが世代で伝説となっている富山岩瀬中学の音楽教師・佐藤進も松本に傾倒していた関係かららしい。
「芸術は長く、人生は短い」と坂本はいい遺した。わが後悔は彼らとほぼ同時期、新宿に遊びながら、ジャズに触れあわなかったこと。時間だけはたっぷりあったのに、新宿駅西口の安酒にうつつを抜かしていたことが恨めしい。